2016年2月6日
川崎天満宮
土手道から下るとすぐに川崎天満宮に着きます。東側から石の鳥居をくぐると、直角に曲がり、南に向いた木の鳥居の先に拝殿があります。
日光例幣使の一行は、渡良瀬川を渡り、川崎天満宮で参拝することが恒例でした。ここには3名の例幣使が歌った和歌の短冊が残されています。
街道を進みます。天満宮前の土手下の道を川崎橋方面に向けて戻ります。その先、川崎橋の県道128号の下をくぐります。
さらに、土手下の道を進み、正面の土手から下る道と合流するところで左折します。
すぐの突き当りを右折します。
その先の十字路を直進すると、広々とした畑の中の道になります。さらに、3本目の十字路を右折します。
農道を歩き、保泉工業の工場の角を左折します。
川崎天満宮から15分、消防署の角で県道128号に突き当ります。右折して県道128号を歩きます。
消防署から5分で尾名川を渡ります。その先は見渡す限りの農地が広がります。ひばりも鳴いて、季節はもう春です。
さらにその先10分強で、右に大きくカーブして出流川を渡ります。ここで足利市から佐野市へ入ります。
出流川を渡った先で県道脇の土道に入ります。県道はそのまま直進方向へ伸びていますが、交差点の手前で左へ抜けるショートカットの旧市道を通ります。
県道128号から信号機のある交差点で左折した市道と合流します。その先を歩くと正面に小さな丘陵が見えてきます。
やがて、丘陵の脇を通過します。その頂上に向かう道の入口に「御野立所址」と記された標識が立っています。昭和9年(1934年)に陸軍の大演習が行われた際、昭和天皇が指揮をとった場所です。岡崎山と呼ばれています。古墳が点在していて、丘陵付近一帯が里山として整備されています。
その先、日光例幣使街道は右の坂道に入ります。角には一本松地蔵があります。
坂道を上って岡崎山の縁を歩くと、岡崎山の案内図が立っています。つつじやさくらが植えられ、標高52.7mの頂上からは、富士山、筑波山、男体山などの山々を望むことができ、関東平野を一望できる名所になっています。
その先で右に入る道は寺岡山厄除け大師へ向かう道です。元三大師(慈恵大師)を祀っています。どうやら、岡崎山の反対側にあるようです。
厄除け大師入口の先は、旗川の土手を歩くことになります。右手には旗川の流れを見ることができます。川の水は結構きれいです。
左手は麦畑などの田園風景が広がっています。その先には標高282mの大小山が見えます。
しばし土手道を歩いた先で二股に分かれ、左方向に進みます。右方向は土手道の続きになります。
一本松地蔵から10分弱で、県道67号に突き当たります。
突き当りの左手角には道標が二基立っています。左側の大きな道標は、正面に「佐野道」、右側面に「足利道」、左側面に「太田道」、裏面に「元文五年庚申十一月二十四日下野国足利郡寺岡村宿」と刻まれています。右側の道標には正面に「道祖神・日光道・佐野道」、右側面に「善光寺道・太田道・足利道」、左側面に「江戸道・館林道」「寛政三辛亥年 月吉祥日」「願主 山本兵蔵」と刻まれています。
県道に入ってすぐの左手に両社神社が見えます。立ち寄りはしませんでしたが、本殿の彫刻は素晴らしいそうです。
その先、前方に白旗橋が見えてきますが、その手前の押しボタンの信号機のある交差点を左へ入ります。
旗川の渡しのあったところへ向かいます。