2024年3月10日
用土
鎌倉街道は小前田から原宿を過ぎ、用土の町並みに入ります。獅子舞の諏訪神社や石仏石塔を眺めつつ、その先で、田園風景が広がり、西側には丘陵地帯が続きます。
その先で美里町猪俣地区に入ります。
ゆるやかに坂を下り低地に出ると、歩道の柵になぜかカニの絵が描かれています。このあたりはサワガニが採れるということでしょうかね。
低地から再び坂道を上ります。途中、擁壁の上に馬頭尊がひっそりと立っています。
坂を上ったところ、右手には普門寺があります。街道からの参道の両脇には立派な並木が続いています。
普門寺前から再び坂道を下っていくと、野中交差点を通過します。かつての国道254号は右から来て、ここを右折して直進方向へ進む道でした。また、芳賀善次郎氏の著書によると、右手の道は本庄、伊勢崎へ通じる鎌倉街道の支道だったそうです。
その先、左手には天仁の蔵元横関酒造があります。先端だけ煙突も見えます。ここはグッと我慢して通り過ぎます。
すぐのところで、天神川に架かる天神橋を渡り、国道254号を横切ります。
国道を渡り、振り返ると横関酒造の煙突が良く見えます。
交差点角に立つセブンの裏手に入ります。
すぐのT字路は右へ入ります。
T字路の突き当りには石塔が立っています。
その先の二又は左へ入ります。角には庚申塔が立っています。
その先は雷坂と呼ばれる急坂を上ります。
坂を上ると社殿の裏から雷電神社境内に入ることができます。
雷電神社は坂上田村麻呂の東征の際に激しい雷雨に合い、これを鎮めるために雷神を祀ったのが始まりと言われています。
一段下がったところに赤い鳥居が見えます。その先には国道254号が走っています。神社は鎌倉街道や児玉往還へは向いていません。
白石地区と中里地区の境界を進みます。
T字路は左折します。
鎌倉街道の標識に従って、右の旧道へ入ります。
車の通らない畑の中の道をのんびりと歩きます。
やがて、畑の中の道は二手に分かれます。分岐には石仏が立っています。これまでの情報では、鎌倉街道は左へ入るようになっていましたが、石仏の脇に立つ美里町教育委員会の案内板には右へ入るようになっています。私有地には入らないようにという但し書きが加えられています。はて、どうしようかと思いましたが、時刻は11:30になるので、ここから近くを走る国道に出て、蕎麦屋で昼食を取ることにします。
蕎麦屋への行き帰りの時間も含めて1時間10分後に、再び、石仏の立つ二又に戻りました。最初の予定通り左の道へ入ります。
旧道は、すぐに先ほど分かれた道と合流し、白石地区に入ります。街道脇には庚申塔、馬頭観音、二十二夜塔が立っています。
白石の町並みです。かつては大仏と呼ばれていました。
変則十字路の角には、石塔が立っています。
左側の「六道能化地蔵尊」と記された緑色の石には、「右 西 八幡山 北 本庄 左 東 江戸 十二天 秩父」と記されていて道標となっています。延享2年(1745年)のものです。右側も道標で、「←白石園良田ヲ経テ秩父郡矢那瀬方面ニ通ズ →駒衣古郡東児玉村ヲ経テ本庄町(一二000米)二至ル」と記されているようです。
その先で白石の町並みは終わりになります。
鎌倉街道らしい切通しの道を下り、低地に出ます。遠くには榛名山の山並みを見ることができます。
低地に降りて、その先の二又は右に入ります。
分岐の角には庚申塔が集まっています。