今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(14)能増から小前田 その3

 

2024年3月3日

 

赤浜

 

 鎌倉街道は塚田の宿駅を抜けた先で、普光寺の東側を通ります。普光寺の角には鎌倉街道史跡の標柱が立っています。遺構を進むと普光寺の北側に掘割り跡を見ることができます。これは鎌倉街道の遺構なのでしょうか。形が分かるように整備されています。

 

 さらに旧道跡を進み、来た道を振り返ります。遺構と言わなければわからない普通の土道です。

 

 鎌倉街道の遺構は県道81号に突き当たり、この先は、正面の白い倉庫の建屋に遮られています。

 

 その先の街道へ向かうために、県道を西へ歩いて行きます。

 

 倉庫の建つ敷地の角で右手に入ります。

 

 車幅制限のポールを抜け、右へ曲がります。正面はかなりの崖になっていて、眼下には荒川に続く平地が広がっています。

 

 崖沿いを戻るように進みます。

 

 さらに進むと右手に小スペースが現れます。

 

 左手の藪の切れ目から眺望が開け、荒川やこれから渡る花園橋、さらに遠くには雪を被った浅間山が見えます。

 

 小スペースには、「推定 鎌倉街道上道 跡」の説明板が立っています。以前から掘割り遺構が見られていましたが、発掘調査の結果、道跡であることが確認されました。同時に、南北朝から戦国時代にかけての墓域も確認されています。今のところ畠山重忠時代のものは発見されていませんが、鎌倉時代の板碑が出土されていることから鎌倉時代から続く道跡ではないかと推定されています。

 

 南方面へ延びる街道の遺構が残されていますが、すぐのところで、先ほどの倉庫に遮られています。

 

 小スペースの角には鎌倉街道上道と記された標柱が立っています。

 

 小スペースからは坂道を下っていきます。山王坂と呼ばれています。

 

 やがて、車幅制限のポールが現れ、下を走る町道に合流します。その先に見える高架の道路は関越自動車道です。

 

 街道の遺構はその先も続いています。

 

 町道を横断したところにも鎌倉街道の標柱と説明板が立っています。

 

 この先はすぐのところで途切れているようです。さらにその先では山王の渡しというところで荒川を渡っていたようです。

 

 町道を西へ下っていき、赤浜の渡しへ向かいます。

 

 高台から平地に降りてきました。荒川はすぐそばに見えます。

 

 男衾クリーン広場の前から右の道に入ります。

 

 河川敷脇の長閑な道に変わります。

 

 すぐのところで獅子岩と呼ばれる大きな岩が見えます。この辺りが赤浜の渡し跡で、この岩を目安に旅人は荒川を渡っていました。獅子に見えますでしょうか?

 

 現代の旅人はここでは渡れないので、さらに先に見える花園橋を目指します。

 

 獅子岩の前から河川敷脇の道を上流に向けて10分ほど歩き、花園橋が間近に見えるT字路を左折します。カーブミラーが立っています。

 

 橋の南側に橋へ上れるスロープがあるようなので、さらにそこを目指します

 

 東側には広大な農地が広がり、その先の高台には先ほどの街道の遺構があった倉庫が見えます。ぐるっと回ってきました。

 

 やがて橋から続く県道の高架の下をくぐりその先でUターンしてスロープを上ると橋の上に出ることができます。

 

 橋の上に出て、県道を左へ入ります。

 

 

鎌倉街道上道(14)能増から小前田 その4へ続きます。

 

鎌倉街道上道(14)能増から小前田 その2へ戻ります。