今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(30)五個荘から野洲 その3

 

2018年11月13日

 

鏡宿

 

 国道8号から左の道に入ると、南側には広々とした田園風景を眺めることができます。鈴鹿山脈と琵琶湖の間に広がる湖東平野です。静かな街道を歩いていきます。

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 家並みが始まると間の宿鏡宿に入ります。守山宿と武佐宿の間が13里半と長かったため、間の宿として賑わいました。中山道以前の東山道の時代には宿駅がありました。

 静かな町並みです。旅籠跡などの説明板が立っています。

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 しばらく歩くと、再び国道8号と合流します。その先、国道沿いにも鏡宿は続きます。

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 右手に、鏡郵便取扱所跡の説明板が立っています。明治7年(1874年)に開設された郵便局の跡です。

 その隣には、源義経宿泊の館跡の石碑が立っています。牛若丸が奥州へ向かう際、ここ東山道の宿駅長であった澤弥伝の旅籠白木屋に宿泊し、元服したと言われています。

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 その先には本陣跡、道を隔てた反対側には脇本陣跡があります。鏡宿は標識や説明板のみが立っていて、往時の遺構は残っていません。間の宿でも本陣があったんですね。

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 右手、鏡神社の先、道は緩やかな上り坂になり、国道脇に源義経元服の池の石碑が立っています。鏡池の石清水を用いて前髪を落とし、元結(もとゆい)の侍姿を池の水に映し元服をしたと伝えられています。

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 その先、国道から左の旧道へ入ります。

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 すぐの左手、公園の奥に明治天皇聖跡の石碑が立っています。明治天皇はこの地で休憩を取られました。

 静かな旧道を歩くとすぐに野洲市に入ります。足元には、銅鐸の文様を描いた旧野洲町のマンホールの蓋を見ることができます。

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 すぐに国道と合流します。相変わらず交通量が多いです。

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 しばらく国道を歩くと、左手、蛙鳴かずの池の脇を歩きます。この池で、平家最後の総大将平宗盛・清宗父子の首を洗ったといわれ「首洗い池」、また、あまりにも哀れで蛙が鳴かなくなった事から「蛙鳴かずの池」とも呼ばれていました。

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 その先、大篠原北交差点を渡り、成橋で光善寺川を渡ります。さらに、その先は緩やかな下り坂となり、東池の脇を進みます。

 このあたりの国道右手の土手下に、大篠原一里塚の説明板があったようですが、交通量が多く、国道を横断するのがあまりにも大変だったので、そのまま通過しました。日本橋から数えて126里目の一里塚です。

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 国道を歩いて12分、浄勝寺前交差点で国道の反対側に渡り、右脇の道に入ります。

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 国道から旧道に入って、大篠原地区を進みます。中山道の面影を残す静かな町並みが続きます。ここ篠原地区には東山道の時代には駅家が設けられていました。しかし、鎌倉時代頃から、宿場は鏡宿へ移されました。

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 やがて、再び国道と合流します。

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 その先、大篠原西池前交差点で国道の反対側に渡り、西池脇の歩道を歩きます。西池は堤の向こうにあるため見ることができません。

 西池は大篠原最大の用水池で、雄略天皇が413年頃に、近江国に48個の池を掘らせたうちのひとつと言われています。

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 小堤交差点の先で右の旧道に入ります。

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 すぐに家棟川を家棟新橋で渡ります。その先の右手には篠原神社があります。

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 辻町に入ります。

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 やがて中山道は新幹線の高架に近づいてきます。左手一帯は桜生(さくらばさま)史跡公園になっています。二つの円墳とひとつの前方後円墳があるそうです。街道近くには、円墳のひとつである甲山古墳の石碑が立っています。

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 その先、左手には桜生公民館がありますが、その庇の上には銅鐸のモニュメントが飾られています。このあたりでは、新幹線の敷設工事の際に、多くの銅鐸が出土され、「銅鐸の里」とも呼ばれています。旧野洲町のマンホールの蓋はここの銅鐸に因んだ文様が描かれています。

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 住宅地に入りところどころ旧家を見つつ、公民館から10分ほどで、街道は右にカーブします。その先は直線道となります。

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 少し先の右手には曙酒造があります。茅葺屋根の建屋で、酒屋と言われなければ気がつかないで通り過ぎてしまいそうです。

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 すぐに、新幹線の高架の下をくぐります。

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 高架をくぐり、斜め左に見える直線道が中山道です。

 この交差点を越えたあたりに、かつての野洲の一里塚があったと言われていますが、場所は特定されていません。日本橋から数えて127里目の一里塚です。

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 その先、大通りと交差する五差路に出ます。角の野洲小学校の前に「中山道 野洲」と記された常夜燈のモニュメントが立っています。

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 交差点を横断して小学校脇をさらに直進します。

 その先で、右への道との分岐に出ます。直進方向は中山道、右の道は朝鮮人街道となっています。道路脇には中山道朝鮮人街道の標識が立っています。

 朝鮮人街道は中山道脇街道で、江戸時代に朝鮮通信使が江戸へ向かう際に通った特別な道です。琵琶湖の東岸を通り、鳥居本中山道と再び合流します。

 本日の街道歩きはここまでとして、朝鮮人街道へ右折して、JR野洲駅を目指します。

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 野洲駅前交差点を左折します。その正面が野洲駅となります。

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 そして野洲駅に13:40に到着しました。本日は4時間55分の行程でした。ちょうど13:44発の電車が来たので、名古屋回りで帰路に着きました。

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