今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(31)野洲から大津 その1

 

2019年4月26日

 

野洲

 

 早朝、家を出て、京都回りで野洲駅に10:15に到着しました。昨年の11月から5か月ぶりです。天気予報では大津地方は終日曇りとなっていましたが、残念ながら、細かい雨が降っています。それでも、さほど寒くはありません。今回、1泊2日で、いよいよ、中山道の最終ゴール、三条大橋に到着します。10:20から本日のスタート地点を目指して歩き始めます。

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 駅前広場を直進し、すぐの野洲駅前交差点を右折します。この道は朝鮮人街道と呼ばれています。朝鮮人街道は中山道脇街道で、江戸時代に朝鮮通信使が江戸へ向かう際に通った道です。

 歩き始めて8分で、本日のスタート地点である中山道との分岐に到着し、右手方向の中山道に入ります。角には中山道朝鮮人街道の標識が立っています。

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 すぐの交差点の左手角には、背くらべ地蔵とその説明板があります。右側の小さいお地蔵さんが背くらべ地蔵で左側は阿弥陀如来立像と記されています。この石仏は鎌倉時代のものと言われ、我が子もこのお地蔵さんくらいになれば後は良く育つと、背を比べるようになったのが謂れだそうです。

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 静かな住宅街を通ります。雨は止みました。

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 左手には宇野勝酒造の建屋が並んでいます。このあたりは、旧野洲村にあたり、旧家も残っています。

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 すぐにJR東海道本線の高架の下をくぐります。

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 正面には野洲川橋が見えてきます。その右手には十輪院のお堂と常夜燈があります。

 夜に渡る旅人が迷わないために常夜燈が設けられました。往時は川の畔にあったそうです。

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 野洲川を渡ります。結構長い橋です。

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 5分ほど歩き、橋を渡り終えると、すぐに守山市に入ります。右手には馬路石邊(うまじいそべ)神社の社標が立っています。社は右手のかなり奥にあるようです。

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 吉身小学校南交差点の左手の小さなスペースに益須寺跡の説明板が立っています。益須寺は日本書紀に「益須郡、都賀山の麓に醴泉が湧き、益須寺に病人が停泊して療養した」と記されています。発掘調査から、7世紀後半の瓦が出土し、交差点の東側100m付近にあったと推定されています。

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守山宿

 

 すぐのところで伊勢戸川を渡ります。小さな川です。川の傍らには吉身の説明板が立っています。この川を境に西側が守山本宿、手前が吉身加宿であり、高札場がありました。また、伊勢戸川は昔から流れが清らかで、ゲンジボタル発生の川でもありました。

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 吉身西交差点を渡り、西藤小児科医院の脇に石部道道標とその説明板が立っています。「すぐいしべ道、高野郷新善行寺道」と記されています。東海道石部宿へ向かう道があり、多くの旅人が利用したようです。

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 その先左手には宇野本家酒造跡があります。宇野元総理大臣の実家です。現在は「守山宿 町屋 うの家」という名で博物館や多目的施設となっています。

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 すぐの左手には、本陣跡の石碑と説明板が立っています。和宮も宿泊しました。

 その隣の町屋は中山道街道文化交流館となっています。

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 その先の変形十字路を左へ曲がります。

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 右手の角には道標と説明板が立っています。「右 中山道 并 美濃路 左 錦織寺・・・」と記されています。中山道から右へ入ると、錦織寺、琵琶湖の木浜湊へ繋がる道だそうです。延享元年(1774年)建立されたもので、石造道標としては古く、守山市文化財に指定されています。また、この場所には高札場もありました。

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 右手東門院脇に明治天皇聖跡の石碑が立っています。

 また、その脇には守山宿の説明板が立っています。守山宿は京都三条大橋から八里六丁(34.4km)の距離にあり、京を出発した東下りの旅人の多くは守山宿に泊まりました。「京だち守山泊り」という言葉があり、守山宿は明治維新まで繁栄していました。

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 その隣は門前茶屋かたたやがあります。かつてこの場所には茶屋の堅田屋がありました。最近になって、同じ建屋を使って茶屋が復活しました。

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 守山銀座西交差点を横断するとすぐに、土橋を渡ります。中山道の重要な橋として、瀬田の唐橋の古材を使って架け替えられた公儀御普請橋でした。また、この地には守山宿の京側の入口がありました。

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 土橋を越えると、加宿であった今宿に入ります。

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 今宿町交差点を過ぎると、左手に一里塚があります。今宿の一里塚と呼ばれ、日本橋から数えて128里目の一里塚です。南塚のみですが、滋賀県で唯一現存している一里塚だそうです。

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 水路脇の街道を歩き焰魔堂町交差点を過ぎると、すぐの右手に十王寺があります。ここには焰魔堂があり、このあたりの地名の由来となっています。

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 二町東交差点を過ぎます。左手の水路にふと、目をやると「ほたる」と書いたプレートが置かれています。この街中でホタルが見られる清流があるということはすばらしいことです。やがて、栗東市に入ります。

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 その先、左手には公園になっている大きな森があります。大宝神社の森で、街道脇には鳥居が立っています。

 鳥居の手前の公園に芭蕉の句碑があるようでしたが素通りしてしました。

 「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」

 芭蕉がこの地、綣(へそ)村で詠んだ句だそうです。珍しい地名です。

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 やがて、栗東駅西口交差点を横断します。左へ行くとと栗東駅に通じています。

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 花園交差点の先、八幡宮の鳥居の脇を通ります。

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中山道(31)野洲から大津 その2へ続きます。

 

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