2016年2月6日
八木宿
堀込町東交差点から7分で、左手福居郵便局に着きます。このあたりが、八木宿の入口と言われています。宿場の周りに8本の木があったことから、八木宿と言われるようになりました。
八木宿入口からすぐに、その名も八木宿交差点に着きます。交差点を渡った左角に寺山商店がありますが、ここがかつての寺山家本陣跡です。
その先、右手には例幣使そばの看板が立っています。
例幣使そばの隣が八木節会館です。道路脇には八木宿碑と説明板が立っていますが、説明板は文字がかすれて解読するのが困難でした。
その先、左手には島岡紙印刷の古い建物が建っています。
左手には母衣輪(ほろわ)神社があります。倭建命を御祭神として、八木宿の鎮守とされています。倭建命が東国征伐の際に母衣を奉納して武運を祈願したと言われています。
右手には大黒屋があります。
八木宿の入口から歩いて10分、福居駅入口の交差点に出ます。寄り道のため、ここを左折して福居駅へ向かいます。
さらに駅前を左へ入るとレンガ造りの工場が現れます。のこぎり屋根の建屋もレンガ造りです。トチセンという会社の捺染工場で、前身の足利織物の大正時代の建屋が残っています。国の有形登録文化財に指定されています。
再び例幣使街道へ戻り左折します。すぐに福居町交差点に差しかかります。このあたりが八木宿の出口になります。
その先で東武線の線路を越えます。
さらに12分ほど歩くと、上渋垂町バス停の先で街道は左にカーブします。左へカーブする二股の角に庚申塔と道標が立っています。
街道を歩くと県道佐野太田線の表示に例幣使街道と記されています。
踏切を渡って12分、国道50号との交差点である上渋垂交差点に着きます。50号沿いで朝食兼昼食兼休憩を行いました。
30分後、再び上渋垂交差点へ戻って、街道歩きを再開します。途中、道端の麦畑では麦の芽が出そろっています。
今日は春霞がかかっているため、遠くの山は望めません。関東平野縁に連なる足利の山並みでしょうか、近くの山々は見ることができます。
梁田宿
上渋垂交差点から歩くこと15分で、金箔うなぎを左折すると、梁田宿に入ります。街道は渡良瀬川の土手まで直線の道が続きます。
左手、長福寺の入口に「旧日光例幣使街道梁田宿」碑が立っています。
梁田宿は幕末の梁田戦争の舞台でした。慶応4年(1868年)梁田宿に宿営していた幕府軍に新政府軍が砲撃を開始し、激戦のあげく新政府軍が勝利しました。
県道128号を左折して7分で渡良瀬川の土手に突き当たります。
突き当りで振り返ると、梁田宿を一望できます。
土手に上がって渡し場があっただろう方向を眺めてみます。河川敷は一面ゴルフ場になっていて、川の流れは見えません。
下流の川崎橋を目指して、土手の上のサイクリングロードを歩きます。
500mほど歩くと川崎橋南交差点に着きます。左折して川崎橋を渡ります。
渡良瀬川を渡る風は少し冷たいのですが、春を感じさせる暖かさです。春霞もかかっています。
おおよそ5分で川崎橋を渡り切ります。左折して土手道を上流へ進み、渡しの着くあたりへ向かいます。
渡し場の近くに川崎天満宮があります。日光例幣使一行は、渡良瀬川を渡り、川崎天満宮で参拝することが恒例でした。
川崎天満宮のあたりで振り返って河川敷に目をやります。渡し場はこのあたりだったのでしょうか?
すぐのところで、土手道からUターンして川崎天満宮へ下ります。