2017年4月29日
伏見宿
天気は快晴です。今日の予報は雷雨で空模様が急変するようです。街道歩きの途中で雷雨にだけは会いたくありません。午後から雷雨と見て、早めに出発して、雲行きがおかしくなりそうになったら、最寄りの駅で切り上げることにします。
早めに朝食を取り、美濃太田駅から電車に乗って、昨日と反対のルートで7:42に名鉄明智駅に到着しました。7:50に本日のスタート地点に向けて歩き始めます。
昨日と同じ道で可児川を越えておよそ7分、本日のスタート地点である交差点に到着し、左折して中山道に入ります。
スタート地点から国道21号を歩くとすぐに伏見交差点に着きます。交差点の手前右手には休憩場所やトイレが併設された一本松公園があります。一角には兼山道標が立っています。「右 御嵩 左 兼山 八尾津」と記されています。伏見交差点を右折すると、金山城のある木曽川沿いの兼山へ通じています。
左手は旧旅籠の三吉屋が建っています。旧伏見郵便局跡は中山道ゆったり伏見宿という休憩所になっています。
その先、道は緩やかな下り坂となります。坂道を下ったところで、上恵土交差点を通過します。この近くに木曽川が流れているようですが、全く見えません。
上恵土交差点を渡った左手、ガソリンスタンド前に、大正時代の道標が立っています。「右 太田渡ヲ経テ岐阜ヘ至ル約九里」「左 多治見及犬山ニ至ル約四里」と記されています。
可児市に入ります。スタート地点から20分の所です。
国道21号は片側2車線の幅に変わり、しばらく歩くと、中恵土交差点の手前の地下道入口脇に一里塚碑が立っています。石碑には「これより約30m東」と記されています。恵土の一里塚で日本橋から数えて97里目の一里塚です。
中恵土交差点から5分、可茂公設市場交差点の先で国道21号は左へカーブしてJR線の線路をくぐりますが、中山道は右へ迂回して直進方向へ進みます。
国道21号と分かれて5分ほど歩き、JR太多線の踏切を渡ります。中仙道踏切と表示があります。
踏切を渡ると今渡(いまわたり)地区に入ります。
住吉交差点で先ほど分かれた国道21号を横断します。
その先の右手には今渡神社の鳥居が立っています。神社はこの奥、少し離れた木曽川沿いにあります。
住吉交差点から10分、道は右にカーブして太田橋で木曽川を越えます。その前に今渡の渡し跡に寄るため直進します。
直進して次の路地、理髪店の角を右に入り、木曽川に向かって下ります。
道はT字路に突き当たるので、左折します。その先、道の脇から弘法堂へ下る階段を降ります。
階段を下ると弘法堂の境内に出ますが、さらに、右手奥の細い階段を下ります。
階段を下ると川沿いの石畳の遊歩道に出ます。ここからは、雄大な木曽川を見ることができます。木曽川を望んだのは三留野宿以来でしょうか。川幅がかなり広がっています。
遊歩道を下流方面へ少し歩くと、今渡の渡し場跡碑と説明板が立っています。木曽川の対岸の渡し場は太田の渡し場と呼ばれています。太田(今渡)の渡しは、木曽の桟、碓氷峠と並んで中山道の三大難所として知られています。
東山道の時代から江戸時代中期までは、少し下流に土田(どた)の渡し場がありました。木曽川の流れが変わったことにより、江戸後期以降はここ今渡の渡し場が使われるようになりました。しかしながら、昭和2年(1927年)に太田橋が完成して渡し場は廃止になりました。
また、ここから、土田宿を通って名古屋へ続く道は上街道と呼ばれています。以前、歩いた槇ヶ根の追分から名古屋へ向かう街道は下街道でした。
太田橋で木曽川を渡るために、来た階段を弘法堂上の通りまで戻り、直進します。
弘法堂上の道を戻り、さらに、来た道のT字路は曲がらず、道なりに細い路地を進むと、先ほど分かれた太田橋へ通じる道に出るので、左折します。正面は太田橋です。
太田橋を渡ります。今は車道の橋の右横に歩行者用の橋が別に架かっていますが、数年前までは、歩行者用の橋はなく、車とぎりぎりすれ違いながら歩いて渡ったそうです。橋の手前の右手には今渡の渡し場のミニ公園があります。
橋を渡ると美濃加茂市に入ります。車が来ないのを見て、ガードレールの切れ目から反対側に横断します。
中山道は川沿いの土手道をしばらく歩きます。
少し河原に降りてみました。河原には、太田の渡しの説明板が立っています。川の向こう岸には先ほど訪れた今渡の渡し場跡あたりを望むことができます。
階段を上がって、再び土手を歩き始めます。
しばらく木曽川の流れを眺めながら土手道を歩くと、文化会館の脇を通ります。土手の右手を下りると、文化会館と土手の間に古井(こび)の一里塚跡碑が立っています。日本橋から数えて98里目の一里塚です。
その先、神明水神公園がある所で土手道から降りて右手に進みます。
突き当りを左折します。
太田宿の町並みが始まります。