2016年5月1日
須原宿
前日の夜に車で自宅を出発して、朝6:45頃塩尻駅前のコインパーキングに到着しました。天気は薄雲が広がっていますが、概ね晴れています。気温は10℃くらいで、風が吹いていて若干寒いです。
塩尻発6:51の電車に乗り込み、須原駅には8:05に到着しました。日帰りで、電車で行くのも、車で行くのもすでに限界のようです。次回は宿泊をするなり、行き方を考えなければいけません。
半年ぶりに須原の駅前に立ちました。8:10から街道歩きをスタートします。駅前には八重桜でしょうか満開です。桜の花漬の太和屋の前にあります。
駅前通りを右に歩いて、一里塚碑の前を通過して、本日のスタート地点である国道19号との交差点に出ます。
左折して中山道に入りますが、すぐのところで左へ入る狭い坂道を上ります。
民家の軒先をかすめるように、細い路地を上っていきます。なかなかいい感じの路地です。
階段を上がると須原宿の町並みに入ります。階段を上がったあたりが、かつての桝形で、須原の一里塚が近くにありました。日本橋から数えて75里目の一里塚です。また、高札場もありました。
須原宿は享保2年(1717年)に起きた木曽川の氾濫でこの高台に移転してきました。また、慶応2(1866年)の大火で大方の家々が焼けてしまい、町並みはそれ以降に建てられたものです。古い町並みだと駐車スペースが取れないのでしょうか、家々の前には車が停められています。
100年くらい前にパリの街並みを描いたユトリロという画家がいます。もう数十年前になりますが、私がパリの街を訪れた時にユトリロと同じ町並みが続いていました。1点だけ違ったところは、現代のパリでは路上駐車が多かったことでした。
すぐの左手には木村家本陣跡の碑が立っています。
道を隔てた反対側の数軒先には、脇本陣を務めた西野酒造があります。地酒「木曽のかけはし」の蔵元です。
趣のある町並みを歩きます。今日は町内一斉清掃の日なのか、大勢の人が出て草刈りや清掃を行っていました。なかなか写真を撮るタイミングが難しいです。
須原宿は湧水が豊富です。至るところで水場があります。中でも有名なのは丸太をくり抜いた水舟です。水舟の里と呼ばれています。須原宿内で何か所か見ることができます。
左手には旧旅籠の柏屋があります。二階の軒先には三都講の札が架かっています。一人旅の行商人でも安心して宿泊できる旅籠の証です。
中山道は右手ガードレールの脇から右に入ります。京側の桝形で、鍵屋の坂と呼ばれています。この坂は通路の真ん中に水路が流れていて、往時の街道の跡を残すものです。柵がないともっと雰囲気が出るのですがね。
桝形に沿って、突き当りを左折します。
竹林の脇を歩いていくと、先ほど分かれた先の道と合流します。
その先、長坂と呼ばれる坂道を上り野尻宿を目指します。
第9仲仙道踏切を渡り、長坂を上り切ると下り坂に変わります。右手の視界が開け、中央本線、国道19号、木曽川が寄り添って通っています。
やがて橋場地区に入ります。町並みの先、伊奈川橋の手前を左折して寄り道をします。
寄り道と言ってもすぐのところから、山の中腹にある岩出観音を望むだけです。懸(かけ)造りの建屋で木曽の清水寺と呼ばれています。もっと近づけば迫力があるのでしょうね。
中山道に戻り伊奈川橋から振り返って、もう一度岩出観音を望みます。新緑が眩しい季節です。
伊奈川の上流の眺めです。この川も白い大きな石が転がっています。
橋を渡って5分で大島地区に入ります。町並みの途中のT字路を左折します。中山道の標識が立っています。
直進方向は古中山道でしたが、木曽川の氾濫を避けて山側を通る道に替えられました。
左折すると右側の山に沿って回るように、のどかな道を歩きます。途中、つつじがきれいに咲いていました。
しばらく歩くと、二股に分かれるので、標識に従って右に入ります。
その先、左手が開けた場所に出ます。遥か山の裾野に民家が点在する山里の風景です。
上田沢の脇を歩いていきます。
長野宿橋を渡ると十字路に出ます。右手奥には大桑駅が見えます。
その先で中央本線の第10仲仙道踏切を渡り、並行して走る国道19号に出ます。
その先の中山道は左折して国道を歩きます。しかしながら、古中山道に残る一里塚へ向かうために国道を右折します。
大桑駅の裏、ししご沢を越えたところを左へ入ります。
道なりに木曽川に向けて下っていきます。
途中、電信柱に一里塚の地図があります。地図に従って進むと民家の庭に一里塚(北塚)が残っています。大桑の一里塚です。日本橋から数えて76里目の一里塚です。この一里塚は先ほどの大島地区で直進する古中山道沿いにあったものです。