今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(28)関ケ原から鳥居本 その3

 

2018年11月11日

 

柏原の一里塚

 

 丸山橋を渡ると、その先左手には柏原一里塚跡の石碑が立っています。

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 川を隔てた南側に一里塚が復元されています。日本橋から数えて115里目の一里塚です。かつて北塚は街道沿いにありましたが、南塚は南側を流れる河川の都合上、少し離れたところにありました。その後、河川は改修されて、現在復元された場所はかつてとは異なっているそうです。

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 一里塚から見ると、街道の南側は稲刈りの終わった田んぼが一面に広がっています。

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 中山道に戻り、その先左手には西見附跡の説明板があります。柏原宿の京側の入口がありました。説明板には道の両側に食い違いの土塁があると書かれていますがよく分かりませんでした。

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 街道脇の松や楓の木を眺めながら歩くと、左手に東山道と九里半街道の説明板があります。柏原宿の手前で分かれた東山道がこのあたりで再び中山道と合流します。

 また、木曾三川の水運で水揚げされた荷物は関ヶ原宿辺りから陸送され、番場宿から米原湊まで運ばれました。関ヶ原宿から番場宿まで九里半あったことから九里半街道と呼ばれていました。よくよく考えてみると関ケ原までの水運とはどこを通ってきたのでしょうか。垂井宿の手前で渡った相川を遡るのでしょうか。

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 その先、右手に太田道灌が歌を詠んだという「鶯が原」の説明板、さらに、街道整備の受け持ち区間を示す「掃除丁場」と「並び松(松並木)」の説明板が続きます。

 さらにその先で、旧長沢(ながそ)村に入ります。右にカーブするT字路の角に薬師道道標が立っています。柏原宿内にあったものより風化が進んでいるようです。

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 しばらく歩くと、小川(こかわ)関跡の石碑と説明板が立っています。小川関は、不破関ができる前にこの地にありました。

 中山道の旧道はここで右の道へ入りますがが、うっかりして舗装道路を直進してしまいました。

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 竹林の脇を歩きます。

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  旧中山道と分かれて5分強で、右からの旧道と合流します。角には、旗本西郷氏領と記された石碑が立っています。

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 やがて、左から国道21号が近づいてきます。その先で梓河内交差点に到着しますが、そのまま側道を直進します。

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 すぐに梓川に架かる梓川橋を渡ります。しばらく歩くと右手に梓川を眺めることができます。

 分岐を直進した先、梓川に架かる小さな橋の袂に「推定横川の駅家跡」の説明板が立っています。古代律令国家において、東山道の横川の駅家(うまや)の場所がこの地、梓河内にあったことが推定されています。

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 わずかながら松並木が残っています。中山道松並木の説明板もあります。

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 道は左へ曲がり、ホテルリスボンの角で国道21号と合流します。

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 その先は国道21号の歩道を歩きます。左手には名神高速道路の塀が続いています。

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 国道を5分ほど歩き、左の道に入ります。角には食堂、山形屋があります。醒井宿ももう少しです。

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 名神高速道路の脇をさらに歩きます。

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 左手の高速道路の塀を背にした街道の脇に、一里塚跡の石碑が立っています。一色の一里塚で、日本橋から数えて116里目の一里塚です。

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 その先、気が付いたら国道21号や東海道本線より一段高いところを歩いていました。左手には名神高速道路も走り、狭隘な場所のようです。

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醒井宿

 

 やがて、醒井宿入口の桝形に差しかかります。右に曲がる角に見附跡と桝形の説明板が架かっています。左に曲がる角には醒井宿の石碑が立っています。

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 賀茂神社の脇で「居醒(いさめ)の清水」と呼ばれる清水が湧いています。醒井宿を流れる地蔵川の源流となっていて、水はとても澄んでいます。醒井宿一帯の湧水は南側にそびえる霊仙山のカルスト地形からの伏流水だそうです。

 その昔、日本武尊伊吹山の大蛇を退治した際に、大蛇の毒で発熱しましたが、この清水の水で冷やしたところすぐに回復したという謂れがあります。

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 左手の階段上には賀茂神社があります。

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 階段の上からは醒井宿を一望できます。

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 街道に戻ります。地蔵川の水はとても澄んでいて、名水の里とも呼ばれています。楓やススキがよく似合います。地蔵川醒井の宝物ですね。宿場町の中を清流が流れているだけで雰囲気がすごく違います。昔から地元の人々が守り続けたおかげです。

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 左手には本陣跡があります。現在は料亭となっています。

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 その先には問屋場跡があります。現在は資料館となっています。

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 川の中では梅花藻が揺らいでいます。水温15℃前後の清流を好み、夏には白い花をさかせます。また、この清流には、ハリヨという4~7cm魚が生息しています。滋賀県東北部から岐阜県南西部の20℃以下の湧水を好み、梅花藻を棲み家としています。

 いかにも涼やかな梅花藻の花ですが、花が咲く時期にまた訪れたいものです。

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 街道の右手にはヤマキ醤油店があります。

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 地蔵川の流れを見ながら歩いていくと、左手には、十王水と呼ばれる清水があります。

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 醒井大橋で地蔵川を渡り、すぐに道が二手に分かれます。中山道はこのまま直進します。右手の居醒橋を渡った先は醒ヶ井駅に続いています。

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