2014年10月18日
新町
諏訪神社の前を右折すると、左に曲がる道と直進する道に分かれます。分岐のところに布引山観世音と書かれた大きな石碑とその脇に小さな道標が立っています。左は布引観音に続く道で、北国街道は、直進方面の細い坂道を上ります。
「牛に引かれて善光寺」の逸話が残る布引観音はここから3kmほど西へ行ったところにあります。断崖絶壁に造られた懸造りの観音堂が有名です。
富士見坂を上ると、道端には道祖神がひっそりと立っています。
芦原中学校脇の六差路に出ます。交差点右手にある中部北陸自然歩道道標の「東町歌舞伎台方面」方向に、左折して太い道路に入ります。
比較的車の往来のある市道を歩きます。歩道は広々としているので歩くには問題ありません。
六差路から5分、北国街道の標識に従い、斜め右の道に入ります。
その先で先ほど分かれた道の下をくぐります。
高架の下をくぐり、すぐの左手に、青木の一里塚碑が立っています。日本橋から数えて43里目の一里塚です。
その先、第一北国街道踏切でしなの鉄道を渡ります。
さらに芦原中学校入口交差点で国道18号を横断し、すぐの突き当りを左折します。
田園風景の残る西原地区を歩きます。
趣のある街並みです。
左折してから10分、Y字路に出ます。ここを右へ入ります。
ホテルコンコルドの前で国道18号と合流します。
国道を5分ほど歩くと、カインズホーム先のY字路で左の道を入ります。左の道に入る所にも北国街道の標識が立っています。
滋野地区も蔵に土塀と趣のある旧家が続きます。
大石沢川を渡った右手に双体道祖神がふたつ仲良く並んで立っています。
大石沢川に架かる橋は眼鏡橋と呼ばれ、明治時代の建造物だそうです。それには気が付かずに通過してしまいました。
滋野地区の街並みを過ぎると、田園風景が広がります。収穫後の稲が干されていて、まさに、里の秋です。
道祖神から12分のところ、左手に牧家一里塚碑が立っています。日本橋から数えて44里目(と思われる)の一里塚です。右手にある説明文には43里目と記されています。どこかで数え間違えたのでしょうか?
さらに、牧家橋を渡ります。その先、比較的大きな道(左へ進むと滋野駅に通じる)を横断した右手に、力士雷電の碑が立っています。この碑を欠き取って身に着けると、立身出世するとか、勝負事に勝つとかの迷信が生まれ、打ち欠いて持ち去る人が多いそうです。確かに碑文が読めません。
加沢地区の街並みも趣があります。
雷電の碑から歩くこと30分でY字路に出るので、左の直進道を進みます。
Y字路から5分ほどで、車道は大きく左へカーブしますが、カーブする右手に歩行者用の道があり、そこを下ります。
田中宿
歩道を下ると常田南交差点に出ます。このあたりが、田中宿の東の入口でした。その先は、電線もなく、歩道も広く取った道が一直線に続きます。新しい町並みです。
常田南交差点から5分ほど歩いた右手に高木屋がありますが、田中宿脇本陣の表札を掲げています。
その先の十字路を右へ曲がり、寄り道をします。
右折してすぐの右手に本陣門が残っています。
街道に戻るとすぐに田中駅前交差点に着きます。かつて桝形が形成されていたのが、現在は直交する十字路に整備されています。左側の歩道が公園のように広くなっているのが、道を変えた名残でしょう。ここには、田中宿と書かれた常夜灯のモニュメントが立っています。本日の街道歩きはここで終了とし、左折して田中駅に向かいます。
そして、田中駅に到着しました。時刻は14:50。6時間55分の行程でした。結構歩きました。15:30田中駅発の電車に乗り、15:55に信濃追分駅に到着しました。