今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

北国街道(3)坂城から篠ノ井 その2

 

2014年11月11日

 

下戸倉宿

 

 国道18号に入ると下戸倉宿の直線の道が続きます。上戸倉宿と下戸倉宿で一つの宿場でした。月初めから21日までが下戸倉で、22日から月末までが上戸倉で宿場業務を受け持っていました。

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 戸倉の町の中に入ると旧家をところどころ見ることができます。戸倉交差点の先、右手に本陣がありましたが、今はその遺構は残っていません。

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 戸倉駅入口交差点の左手角に、大きな茅葺の商家が建っています。ここはかつて下の酒屋と呼ばれていた坂井銘醸酒造であり、裏手には酒蔵がいくつも並んでいます。この茅葺の建物は、江戸中期のもので、現在は蕎麦処を営んでいます。

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 戸倉駅入口交差点の次、今井交差点の一本先を右に入ります。ここからは喧騒な国道から離れ、静かな街道歩きを楽しむことができます。

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 車通りは少なくなり、紅葉の山が迫ってきます。里の秋といった感じです。

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 しなの鉄道の脇を歩きながら、国道から分かれて12分、十字路の角に火の見櫓が建っています。

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 火の見櫓の足元に「信濃宮御古蹟迄二町」と記された道標があります。信濃宮とは後醍醐天皇の皇子、宗良親王のことで、この地で病気になった際に、髻(もとどり)を切ってお供えしたところ、病が治癒し、そのお礼に髻を埋めて塚としました。この髻塚はしなの鉄道の線路を越えた東側にある柏王神社にあるそうです。

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 しばらく趣のある古い町並みが続きます。

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 道標から20分ほど歩くと、右手に、寂蒔(じゃくまく)水除土堤の説明板があります。千曲川の氾濫から田畑を守るために、元禄6年(1693年)に土堤が築かれました。後ろにあるのが土堤でしょうか。

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 寂蒔地区に入ります。

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 寂蒔は間の宿であり、公民館付近に茶屋本陣があったそうです。

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 信濃宮道標から50分強で屋代駅前交差点に着きます。右手奥に屋代駅があります。

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 近くにあんずの里があることから、街灯や歩道のブロックにあんずの絵を見ることができます。

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矢代宿

 

 駅前交差点から北へ進むと屋代本町バス停があります。このあたりから矢代宿に入ります。現在は歩道も広く取られ、新しい町並みとなってしまいました。

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 通りの突き当り、須須岐水(すすきみず)神社の手前、左手の藤屋旅館の建物だけが旧家のたたずまいを残しています。

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 突き当りは須須岐水神社です。立派な鳥居が立っています。神社の前を右折すると左手の歩道に矢代宿碑が立っています。

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 その先すぐの横町交差点を左折します。ここは桝形となっています。

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 さらに、すぐのところには高見町交差点があります。北国街道は直進方向ですが、右折する道は松代道です。松代道は松代宿を通り、牟礼宿の手前で北国街道と合流します。

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 矢代宿の街並みです。

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 高見町交差点から3分ほど歩くと、右手に矢代宿脇本陣の碑が立っています。

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 その先右手に明治天皇御小休所跡碑が立っています。ここはかつて、本陣があった場所です。

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 北国街道はすぐに国道18号と合流します。ここから国道を横断して右方向に進むことになりますが、片側二車線の広い道路をひっきりなしに車が通るので、横断歩道もなく渡れません。見渡すと、100mくらい上田方面に戻ったところに、地下道があったため、そこで国道を横断します。

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 地下道をくぐり、再び屋代交差点を過ぎ、大栄建設の先の側道に入ります。

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 道なりに倉庫街を進みます。正面に長野新幹線の高架橋、その先に、高速道路(長野道)の更埴ICの料金所が見えます。

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 左にカーブした先、高速バス乗場の緑の看板が立っているところを左に入ります。

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 細い路地を進むと、正面に千曲川の土手が見えてきます。土手を上がると、土手の上を走る車道に出ます。

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 土手に上がると、千曲川を見渡すことができます。土手上の車道は迂回路になっているのか、車がひっきりなしにスピードを出して通り過ぎていきます。歩道もなく結構歩きづらいです。

 5分ほどで、長野道の橋の下をくぐります。すすきの穂も出そろっています。

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北国街道(3)坂城から篠ノ井 その3へ続きます。

 

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