今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光例幣使街道(1)倉賀野から境町 その1

 

2015年12月29日

 

倉賀野宿

 

 今日から、例幣使街道を倉賀野宿から楡木宿まで歩くことにします。倉賀野を訪れたのは中山道を歩いた2013年2月以来になります。

 8:10に倉賀野駅に到着し、南口に降り立ちました。8:15に今回は逆に東へ向けて出発します。ちょっと寒いです。

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 駅前で道は二手に分かれるので、右の道に入ります。その先、倉賀野駅入口交差点で中山道に突き当たり、左折します。

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 旧家を見つつ、倉賀野駅入口交差点から10分ほどで中山道との追分に着きます。下の写真の右手が中山道江戸方面、左手が例幣使街道であり、例幣使街道のスタート地点になります。

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 追分の角に閻魔堂が建っています。以前この地を訪れたときは赤と青の建物でしたが、木目調にリニューアルされていました。その前には、道標と常夜灯が立っています。道標には「左日光道、右江戸道」と記されています。

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 例幣使街道に入ると、道端には「例幣使街道」と記された標識が立っています。中山道を歩いた時もそうでしたが、群馬県は気が利いていますね。

 例幣使は日光東照宮へ幣帛を奉納する朝廷の勅使で、徳川家康が日光山へ改葬された後、正保3年(1646年)から毎年、奉納が行われました。例幣使は中山道を通り、倉賀野宿から例幣使街道に入り、壬生通楡木宿、今市宿を経由して日光山へ向かいました。

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 追分から7分でJR高崎線の踏切を渡ります。

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 工業団地に入ります。

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 その先、金属工業団地交差点で国道17号を横断します。さらに工業団地が続きます。

 そして、追分から22分で綿貫町南交差点に着きます。交差点を直進して、細い路地に入ります。

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 すぐに、街道は行き止まりになります。原子力研究所の塀が街道を遮っています。

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 原子力研究所の敷地を時計回りに迂回するため、一旦来た道を戻ります。戻る途中、綿貫町南交差点の手前の十字路の角に二つの道標が建っていますが、この角を右折します。すぐに、綿貫町南交差点で横断した道に出ます。

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 原子力研究所の正門前を通り、その先の綿貫町交差点を右折します。

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 綿貫町交差点から、原子力研究所のフェンスに沿って歩いていきます。

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 交差点から5分で左手には不動山古墳が見えてきます。5世紀後半に作られたと言われている前方後円墳で、古墳の上には不動尊が祀られています。

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 その先の右手は群馬の森になっています。群馬の森はかつて陸軍の火薬製造工場があった場所を公園としたところで、博物館や美術館もあります。

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 すぐに、井野川に架かる鎌倉橋を渡ります。鎌倉橋という名前や、橋を渡ると八幡原と呼ばれる地名となり、ここが、源頼朝ゆかり地であること示しています。

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 鎌倉橋を渡って右手の土手に入ると、原子力研究所の敷地で遮られていた街道の先に出ます。かつて、ここには土橋がありましたが、今はその痕跡も見当たりません。

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 振り返るとその先の街道は続いています。

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 この道を進むと、すぐに、先ほどの県道142号と合流します。合流地点に例幣使街道の標識が立っているので、この道が旧街道であったことを示しています。

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 再び県道を歩き、土橋跡から10分で関越自動車道の下をくぐります。

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玉村宿

 

 関越道をくぐると直線の道が続きます。玉村宿に入ります。旧家をたまに見ることができます。

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 関越道から15分で、左手には旧問屋場の和泉屋があります。造り酒屋も兼ねていました。江戸時代の建物で国の有形文化財に指定されています。

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 和泉屋の隣には玉村八幡宮の鳥居が立っています。建久6年(1195年)、源頼朝が鎌倉鶴岡八幡宮より勧請したものと言われています。

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 右手にある町田酒造前のT字路を左折して、木島本陣跡歌碑へ向かいます。

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 その先のすぐを右折します。

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 右手に屋根付きの歌碑があります。天保14年(1843年)帰路も中山道を辿った例幣使参議有長(綾小路有長)の歌碑で文久4年(1864年)に建立されたものです。

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 再び町田酒造まで戻り、左折して街道を歩きます。

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 右手に味わいのある赤レンガ倉庫が建っています。旧桐生信用金庫の建物だそうです。

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 下新田交差点を通過して、町田酒造から15分ほど歩くと、長かった直線道路が終わり、その先で道が右へカーブしているのが見えてきます。

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 日光例幣使街道(1)倉賀野から境町 その2へ続きます。