今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光例幣使街道(1)倉賀野から境町 その2

 

2015年12月29日

 

玉村宿下木戸

 

 長かった直線の道も終わり、緩やかに右へカーブするところに上飯島交差点があります。かつてこのあたりに下木戸があり、日光側の入口でした。

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 上飯島交差点から30分ほど歩くと工業団地に入ります。

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 工業団地を抜けるとJA佐波伊勢崎が右手にあり、さらにその先、老人ホーム前のY字路を左に入ります。

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 静かな裏通りです。

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 県道142号から分かれて歩くこと8分で、再び県道に合流します。五料交差点です。左手角、常楽寺前には小さな道標が立っています。

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五料宿

 

 五料交差点を横断すると五料宿に入ります。旧家を散見することができます。突き当りは利根川の土手です。

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 突き当りの土手の上に立って、利根川を眺めてから、五料交差点へ戻ります。すぐの右手に入ると五料関所跡があります。慶長6年(1601年)、酒井忠重が厩橋藩前橋藩)主に就いた際、この地に関所を設けました。それから明治元年(1868年)まで前橋藩が関所を管理していました。日光例幣使街道唯一の関所であり、日光例幣使の通行役と舟運の取締りを行っていました。

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 道の両側に関所門の沓石が残っています。

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 関所跡を進み、渡し場のあったあたりから再び利根川を望みます。左手にはこれから渡る五料橋が見えます。

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 五料交差点まで戻り、五料橋で利根川を渡ります。

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 五料橋からは赤城山榛名山、左手には雪を頂いた浅間山を臨むことができます。

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 7分で五料橋を渡り切り、右手の土手道に入ります。

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 下流へ50mほど歩き、渡し場があったあたりへ向かいます。

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 渡し場付近から利根川の対岸を望みます。

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 振り返って、先の旧道を歩きます。

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 すぐに県道との柴町交差点に出るので、再び県道を進みます。

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柴宿

 

 柴宿に入ります。柴町交差点からすぐの右手には歩道が整備されていて、脇には桜並木と水路が続きます。伊勢崎市に入ると「旧日光例幣使道」の標識を見ることができます。

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 やがて、歩道の上を覆う見事な松の木が見えてきます。

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 ここには関根家本陣跡があります。門と塀が残っています。

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 本陣跡から次の信号のあるT字路を右折します。角には上武大学の寮があります。

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 この場所は桝形を形成していて、この先で左にカーブしています。

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 左にカーブする右手には雷電神社があります。6世紀から7世紀にかけて造られたと言われる古墳の石室の上にあるそうです。鳥居をくぐった右手には溶岩岩石で作った築山があります。

 雷電神社の左側の道は例幣使街道の旧道で、利根川の渡し場から直接この場所につながっていました。享保14年(1729年)に柴宿は現在の北側の地に移されました。

 また、ここ中町はこの先の堀口町とともに、柴宿の加宿となっていました。

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 堀口町を歩きます。

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 本陣から歩いて25分で東京福祉大学の前を通過します。ここにも旧日光例幣使道の標識があります。

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 除ヶ町交差点で国道462号を横断すると、その先、左手に豊武神社があります。

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 豊武神社から7分、左へカーブするY字路の角に道標が2本立っています。大きい円柱の道標には、「猿田彦大神、右玉村、左やつた」と刻まれています。円柱の道標は珍しいのではないでしょうか。

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 その先の馬見塚町交差点を過ぎると左手に飯玉神社があり、その隣には延命寺があります。この寺は例幣使一行の休憩所でもありました。立派な梵鐘櫓が目を引きます。かつてこの櫓にあった梵鐘はその音色が美しいと評判でした。

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 延命寺から15分弱で忠治茶屋に着きます。

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 名物の焼きまんじゅうを食べました。甘辛味噌味でおいしかったのですが、意外と大きかったです。

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 忠治茶屋で休憩をした後、その先を右に入ります。入口には「右赤城」の標識があります。

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日光例幣使街道(1)倉賀野から境町 その3へ続きます。

 

日光例幣使街道(1)倉賀野から境町 その1へ戻ります。