2022年10月2日
御射山神戸
街道は徐々に高度を下げていきます。火の見やぐらが角に立つ二又を直進した先、左手には金山大権現が祀られています。鍛冶師の守護神と言われています。その前には見事な赤松の大木が立っています。
これまでに見ない数の石仏や石塔が集められています。このあたりの人々の信仰の深さを感じますね。
さらに下っていきます。
坂の途中左手には、庚申塔、千庚申塔、筆塚の石塔が並んでいます。
やがて街道は下りながら右へ大きくカーブします。すぐ下には国道20号の富士見パノラマリゾート入口交差点が見えます。
その先で、国道20号に合流するので、Uターンして国道に入ります。そして先ほど下に見た富士見パノラマリゾート入口交差点を通過します。この辺りに御射山神戸の南の桝形がありました。江戸時代、御射山神戸は甲州街道の間の宿でした。
御射山神戸の町並みです。
御射山というと、私の好きな霧ヶ峰八島ヶ原湿原の近くにある御射山を思い出します。確か鎌倉時代の競技場があった程度の記憶しかありません。ネットによると近くに諏訪大社下社の旧御射山神社があったそうです。一方、上社の御射山神社は諏訪南インターの近くにあり、ここ御射山神戸は上社にゆかりのある土地になります
御射山神事では、神様の御座所の屋根にススキを葺き、これを穗屋と呼んでいます。芭蕉の句には、
雪 散るや穗屋の芒(すすき)の刈り残し
という更級日記に記された句があり、下社の木落とし坂のふもとや、この先の御射山八幡社には句碑が立っています。
右手には明治の政治家、司法大臣や鉄道大臣を歴任した小川平吉の生誕の地の石碑が立っています。
御射山神戸交差点を通過します。
その先、神戸八幡交差点を左折して御射山神戸八幡社に寄り道をします。
すぐの右手に鳥居が建っていますが、地面の整地工事中でした。説明板によると、嘉禎3年(1237)の資料に神社の名前が載っていて、現在の建物は宝暦12年(1762)の建立です。
何よりも目に付くのは左側に立つ大けやきの木です。樹高30mで樹齢390年(平成15年(2003年)当時)と推定され、富士見町で1番の大木と記載されています。富士見町指定の天然記念物です。
ところで、芭蕉の句碑ですが、何処にあるのか分かりませんでした。後で調べると正面右手の石祠と並んで立っていたようです。
神戸八幡交差点から甲州街道に戻ります。交差点から眺めると国道が緩やかにカーブしています。ここが北側の桝形跡になります。
交差点から数分歩くと、道は二手に分かれ、甲州街道は左の道に入ります。分岐の角には比較的大きな石仏が立っています。馬頭観音とのことですが、達筆で何と書いているのかよく分かりません。
坂道を上っていきます。
坂の途中にはこちらもかなりの数の石仏が並んでいます。多くは馬頭観音ですが、明治とか昭和の文字も読み取れます。左端に少しだけ遠慮気味に立っている新しいものは牛馬頭観音と記されています。馬のみならず牛の供養も兼ねているようです。
その先で木々の茂る道に変わります。正面には一里塚が見えてきます。
御射山神戸の一里塚です。両塚とも現存しており、西塚のけやきは甲州街道に一里塚が設置された慶長年間当時からのものと言われています(樹齢は380年(平成10年(1998年)当時))。東塚のエノキは明治初期に枯れてしまいました。日本橋から数えて48里目の一里塚です。
こちらがその西塚です。風格があります。
こちらは東塚です。
しばし長閑な街道歩きができます。
一里塚から歩くこと10分でT字路に突き当たります。ここから茅野市に入ります。街道は左の道へ進みます。
T字路の正面には、これから訪れる金沢宿の名所史跡マップと青柳ゆるぎ石の説明板が立っています。
脇のガードレールから下を覗くとゆるぎ石が見えます。この石は、JR中央本線の向こう側、中央自動車道近くにある御狩野ゆるぎ石と対をなし、夫婦石とも言われています。互いに、毎日米一粒分ずつ歩み寄っているという言い伝えがあります。甲州街道を行きかう旅人が金沢宿の入り口の目安にしていたそうです。
道幅は狭くなります。
原の茶屋のあたりでもそうでしたが、道沿いには祭の吹き流しが飾りつけられています。
ゆるぎ石から10分ほど下っていくと国道20号に合流します。ここにも金沢地区の名所史跡マップがあります。
金沢宿
金沢宿に入ります。金沢上町バス停前を通過します。
金沢宿の町並みです。往時の遺構は多くは見られません。