今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(26)近鉄四日市~石薬師宿~庄野宿~井田川 その2

 

2024年4月12日

 

日永の追分

 

 追分は伊勢神宮遥拝所になっていて、「神宮遥拝御鳥居」と記された石碑とともに鳥居が立っています。桑名の七里の渡しの一の鳥居に対して二の鳥居となっています。この鳥居は伊勢神宮の別宮である伊雑宮(いざわのみや)の鳥居を、式年遷宮ごとに移しています。往時はこの鳥居をくぐって伊勢神宮へ向かいました。

 

 また、追分には大きな道標が立っています。「右京大阪道 左いせ神宮道」と記されています。この道標は嘉永2年(1849年)に建立されましたが、それ以前は、先ほど訪れた日永神社にある東海道最古の道標がこの場所に立っていました。

 

 手水所もあります。湧水がこんこんと湧き出ているようです。

また、説明板によると追分周辺は茶店や旅籠が集まり、間の宿として賑わっていたそうです。

 

 追分から右手の東海道の先へ進みます。すぐに、四日市あすなろう鉄道の踏切を渡ります。左手には追分駅があります。

 

 踏切を渡ったところで、東海道は左の道へ入ります。

 

 長閑な住宅地を進みます。

 

 大蓮寺の前を通ります。

 

 小許曽(おごそ)神社の社標が立っています。延喜式神明社の古い神社です。

 

 東海道はその先で右折します。

 

 左手角には小さな道標が立っています。「右 大治田 左 追分」と記されているようです。

 

 その先で左折します。曲がり角の正面には願誓寺の山門が見えます。

 

 桜が満開です。

 

 小古曽三丁目交差点で県道407号を横断して、さらに、直進します。左手には内部駅が見えます。また、分岐には東海道の標柱が立っています。

 

 さらに、住宅地を歩いて行くと、内部川の土手に突き当たります。

 

 土手に上がってみます。かつての東海道はここから橋が架けられていました。

 

 左手にある国道1号の内部橋で内部川を渡ります。国道の左側にある歩道を通るため、一旦、国道の下をくぐります。

 

 内部橋を渡ります。

 

 内部川はこの先で鈴鹿川に合流します。

 

 国道1号も400kmを超えました。

 

 橋を渡った先で、東海道は左へ入ります。

 

 采女町の家並みの間を進みます。采女(うねめ)とは天皇に仕える女官のことで、この地はその出身者が多かったと言われています。正面には、これから越える小高い丘が見えます。

 

 道なりに右へ曲がります。

 

 電柱の上、杖衝(つえつき)坂の標識に従って左折します。

 

 左折すると、上り坂が始まります。坂の途中、金比羅宮の前で左へ曲がります。

 

 急な杖衝坂の上りです。

 

 さらに、上っていきます。

 

 坂の途中で常夜燈が見えてきました。

 

 

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