今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(26)各務原から美江寺 その1

 

2017年11月23日

 

各務原

 

 朝、6時過ぎの新幹線に乗って名古屋、岐阜を経由してJR各務ヶ原駅に9時少し前に到着しました。天気は晴、少し風があり、肌寒いです。

 本日のスタート地点である駅前の各務原町交差点におよそ7ヶ月ぶりに立ちました。今回も1泊して、関ケ原あたりまで歩こうと思います。

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 9:00ちょうどに中山道を西に向けて歩き始めます 。片側2車線の広い道路を物凄い勢いで車が走り抜けます。朝方まで雨が降っていたのか路面が濡れています。

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 15分弱歩いたところで二十軒バス停があります。このあたりにかつて二十軒立場がありました。

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 さらに、代り映えのしない国道21号を歩いて15分、右手に川崎重工の門がある先で、国道は名鉄線を越える跨線橋にかかります。歩行者はこの坂道を上がらず、右の脇道へ入ります。

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 正面には、線路を渡る歩行者用の階段が見えてきます。

 階段の手前、左手には名鉄三柿野駅があります。

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 階段を上り、名鉄線の線路を越えます。

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 線路を越えると左手は航空自衛隊の基地となります。

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 跨線橋を越えて5分、道は三柿野町交差点で二股に分かれ、国道21号は左へ逸れますが、中山道は右の道へ入ります。

 国道の喧噪さから逃れ、比較的静かな通りとなります。このあたりは六軒町と呼ばれ、かつては六軒茶屋の立場がありました。

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 すぐの右手に六軒の一里塚跡の碑が立っています。日本橋から数えて103里目の一里塚です。

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 しばらく歩くと、歩道も整備され、電線も地下に埋設されたきれいな通りになります。

 国道21号から分かれて20分、各務原市役所の前を通ります。歩道に立つ街路樹も紅葉しています。

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 その先、門前町2丁目交差点を過ぎると、右手には市民公園が広がっています。

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 市民公園は、岐阜大学の跡地を整備したもので、説明板には黒川紀章氏のデザインによるものと記されています。公園には垣根を設けず、街と一体化した設計になっています。なかなか良い雰囲気です。

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 公園の脇には新境川が流れています。親柱が立派な那加橋を渡ります。

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 新境川の両岸には桜が植えられていて、約1,200本の並木道になっています。「さくら名所100選」にも選ばれています。地元では桜を寄贈した歌舞伎役者・市川百十郎の名前にちなみ、「百十郎桜」と呼んでいます。

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 那加橋を渡ると、なか21モールと書かれたゲートをくぐります。商店街を5分ほど歩くと那加駅入口となる東那加町交差点に着きますが、ここにもなか21モールのゲートが立っています。

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 なか21モールを抜けて5分強、五差路の新加納町交差点に着きます。中山道は正面の二股の右手の道に入ります。

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 その先は、車の通りの少ない静かな道となります。

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 右手には日吉神社の鳥居が立っています。日吉神社には狛犬ならぬ狛蛙が鎮座しています。往時は境内に瓢箪池があり、ガマガエルが多く棲んでいたそうです。

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 やがて道は二手に分かれますが、かつて、分岐の手前右手には梅村屋茶屋本陣がありました。鵜沼宿加納宿の間は17kmと長かったので、ここ新加納に間の宿が置かれていました。

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 中山道は二股の直進方向左手の道に入ります。

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 二手に分かれる角に一里塚跡の碑が立っています。新加納の一里塚で、日本橋から数えて104里目の一里塚です。また、間の宿の説明板と日吉のカエルの石像が立っています。

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 街道はこの先、桝形を通ります。突き当りを右折します。突き当りの今尾医院の前には高札場跡の石碑が立っています。また、右折してすぐの左手には、新加納立場の説明板が立っています。

 今尾家はこの地を治めた旗本坪内氏の御典医でした。突き当りを反対に左折すると、重要文化財に指定された今尾家の屋敷があります。

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 その先の突き当りで桝形を左折します。

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 桝形を抜けると民家もまばらとなり、緩やかな坂を下ります。濃川を渡ると一面の田んぼとなり、視界が開けます。かつてはこの辺りには松並木があったそうです。

 名鉄線と並行に歩き、東海北陸道の高架の下をくぐります。

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 高速道路の下をくぐって田園風景の中を歩くこと5分、再び家並みが多くなったところで境川を高田橋で渡ります。境川の両岸にも桜の木が植えられています。

 境川羽島市長良川と合流する川です。先ほど渡った新境川境川放水路と呼ばれ、各務原市内で境川と分岐して木曽川に流れています。木曽川の流れが大きく変わる中、戦国時代には美濃と尾張の境界であったため境川と呼ばれていました。

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 住宅街の中、緩やかに右へ左へと、うねりながら進みます。

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 高田橋から15分でT字路に突き当たるので、中山道はここを右折します。

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 T字路左手には手力雄神社の鳥居があります。その角には道標が立っていて、「左木曽路」と記されています。

 手力雄神社天照大神が隠れた岩戸をこじ開けた天手力雄命を祭神とする神社です。その場所を地図で確認すると、これまで歩いてきた道の近くにあったようです。

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 T字路を右折します。

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 すぐの右手、岐阜信用金庫の入口の角に休憩スペースがあります。ここには、切通由来説明板と中山道碑が立っています。

 「切通境川北岸に位置し地名の由来は岩戸南方一帯の滞溜水を境川に落していたことによると言う。」と記されています。岩戸とはここの北側に位置する山手あたりのことを指すのでしょうか。

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中山道(26)各務原から美江寺 その2へ続きます。

 

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