今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(27)美江寺から関ケ原 その2

 

2017年11月24日

 

呂久の渡し

 

 小簾紅園(おずこうえん)に入ると呂久の渡しの説明板が立っています。かつての揖斐川(呂久川)はこの地のすぐ西側を流れていました。川幅は平水で90m、大水のときは180mもあり、中山道を行く旅人はここを船で渡りました。揖斐川の川筋が現在の流れに付け替えられたのは大正時代のことです。

 和宮が船で渡られた際、対岸の色鮮やかに紅葉した楓を見て、

 「落ちて行く 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」

 と詠みました。昭和45年(1970年)にこれに因んで小簾紅園が整備されました。

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 小簾紅園から歩いて5分で平野井川に架かる新橋を渡り、大垣市に入ります。

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 平野井川は満面の水をたたえています。空は羊雲でしょうか。昨日のような天気にはならないかもしれません。

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 橋を渡ると、土手に突き当たるので道なりに右折します。土手下の緩やかな坂を上ります。

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 その先で、上を通る土手道と合流します。合流点との少し手前には墨俣追分道標が立っています。「右 すのまた宿道 左 木曽路」と刻まれています。

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 この先で、一里塚跡へ寄るために、土手道から右の道を下ります。

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 柳瀬橋でもう一度、平野井川を渡ります。右手には平野井川渕に神明宮の鳥居が見えます。

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 橋を渡って川沿いを戻り、神明宮まで歩きます。鳥居の横に一里塚の説明板が立っています。かつて、この柳瀬の一里塚は、今、渡った柳瀬橋付近にありました。日本橋から数えて109里目の一里塚です。

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 一里塚跡から柳瀬橋に戻り、突き当りを右折して、再び土手道に上がります。土手道には桜並木が続いています。

 この土手は大垣輪中の堤防跡で、かつては、この辺り一帯を流れる河川の水害から大垣の町を守っていました。土手の高さはかなり高いです。

 土手道のカーブミラーのある所を中山道の標識に従って、左の町並みに向けて下ります。この先の道は、少々、複雑ですが、この緑と茶色の中山道標識を頼りに歩けば大丈夫です。

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 土手下の大島地区に下りてすぐのところを右へ入り、土手沿いを歩きます。

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 その先で、さらに右へ入ります。ここにも中山道の標識が立っています。

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 さらに、県道の下をくぐり、土手下の道を歩きます。

 一里塚から歩いておおよそ10分、歩道と車道の間の生垣に新しい道標が立っています。道標には「中山道三回り半」と記されています。京に向かって三回曲がり、プラス、わずかに曲がるという意味のようです。

 中山道の標識に沿ってここを左折します。ここが一回目でしょうか。

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 すぐの正面には素盛嗚社があります。素盛嗚社は天照皇大神宮の弟である素盛嗚大神を祀った神社です。

 神社の前を右に曲がります。二回目でしょうか。

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 その先、もう一回、左へカーブして、小さな川を渡ると、田んぼの広がる道となります。半回りはどこなのでしょうか?

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 しばらく歩くと住宅街に入ります。三津屋三丁目交差点を通過します。ここを左折すると、かなり先に大垣駅があります。交差点を直進します。

 街中を抜けると、再び、田んぼが広がります。

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 街道は右へカーブします。この角に中山道七回り半の道標が立っています。今度は7回曲がるようです。

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 田んぼの中を歩いていくと、工事中の高架道路の下をくぐります。その先も田園風景を見渡せる道を気持ち良く歩くことができます。

 さらに、車の往来のある市道を横断して、角に建つアパートの先で右折します。

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 すぐに、今、横断した市道と県道230号が交差する中沢交差点の脇に出ます。ここを左折して県道230号に入ります。

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 しばらく歩くと、県道はカワイ線材の交差点を右に曲がるので、それに沿って右折します。

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 さらに道なりに左折します。

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 その先、養老鉄道の踏切を渡ります。七回り半の石碑から10分強のところです。赤坂宿ももうすぐです。

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 踏切を渡ると右手奥には、東赤坂駅が見えます。

 踏切の先を流れる野川に架かる菅野橋を渡ると、街道はその先すぐのところを左へ入ります。

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 左に入って5分ほど歩くと左手道路脇の民家の前に一里塚碑が立っています。池尻の一里です。日本橋から数えて110里目の一里塚です。

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 赤坂の町に入ります。いかにも旧街道らしく、区画整理された道には添わず、斜め直進方向に進みます。街灯に目をやると中山道赤坂宿の表示が見られるようになりました。

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 一里塚碑から6分で三叉路に出ます。左から合流するのは大垣道(国道417号)で、追分となっています。

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 合流点から振り返りました。左方向が来た道で、右方向は大垣道です。大垣道は交通量が多いのか渋滞しています。分岐には現代の道標が立っています。

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 合流点の先は杭瀬川に架かる赤坂大橋です。

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 杭瀬川はこの先で揖斐川と合流します。かつての揖斐川の本流と言われていますが、享禄3年(1530年)の大洪水で流れが変わってしまいました。

 672年に起こった壬申の乱では、兵士が疲れ切った身をいやし、「苦を癒した」と言われたことが名前の由来になったそうです。

 今はゲンジボタルの生息地として有名です。

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 橋の西側の袂は赤坂大橋西交差点があり、ここを直進します。その先は、古い民家もところどころ見られる町並みに入ります。道の先には、大きな火の見櫓が見えてきます。

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中山道(27)美江寺から関ケ原 その3へ続きます。

 

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