2023年10月7日
本宿
東海道は国道1号から反れて、法蔵寺の門前に出ます。かつて門前には茶店が軒を並べ、名物の法蔵寺団子を振る舞っていました。炙り醬油で味を付けた団子で、昭和初期まで売られていました。「炙り醬油」、良い響きです。かつての街道筋の風情はほとんど見られませんが、静かな街道歩きができます。
その様な中で、T字路の角には寛政13年(1801年)建立の秋葉山常夜燈が立っています。また、脇にある火の見櫓の下には本宿村道路元標があります。
その先の左手には十王堂と記された建屋が建っています。かつて十王堂があり、建屋の中に十王像が祀られています。
十王堂跡からすぐのところに一里塚がありました。
右手には標柱が立っています。本宿の一里塚で、日本橋から数えて78里目の一里塚です。
一里塚跡から5分ほど歩くと、左手には「宇都野龍碩(りゅうせき)邸跡と長屋門」の説明板がぽつりと立っています。七代目龍碩はシーボルトの門人青木周弼に学んだ蘭方医で、安政年間としては画期的な種痘を行っていました。「長屋門(現存)」と記されていますが、今は更地になっています。ネットでしかその立派な長屋門は見れません。
少しだけ往時の雰囲気を残す松並木が続きます。
その先、本宿町沢渡交差点で国道1号と合流します。
合流点角には、国道の歩道から見ると現代の道標と、
「是より東 本宿村」と記された説明板が立っています。本宿村の絵図には、これまで訪れた法蔵寺、陣屋、一里塚、十王堂などが記されています。
交差点で反対側に渡り、しばらく国道脇の歩道を歩きます。
秋の空に柿の実です。今日もこの構図の写真が撮れました。
車道脇からゼブラマークが右手方向に。
ゼブラマークは線路脇への誘導路でした。
線路脇の柵の切れ目から、スロープを降りて、右手の旧道に入ります。
5分ほど歩き、十字路を通ります。ここを右へ入ると名電山中駅に通じています。
さらに、5分ほど歩くと、左手に休憩スペースと冠木門が立っています。この辺りは舞木町と言い、町名由来の説明板が立っています。
山中八幡神宮記の一節に「文武天皇の頃、雲の中より神樹の一片が、神霊をのせて舞い降りる」と書いてあるところから、「木が舞い降りる」を取って「舞木」と付けたと言われています。
舞木橋を渡ります。橋の手前には、永證寺の寺標が立っています。永證寺はここから北へすぐのところにあります。
ここにも松並木が残っています。
東海道の標柱も立っています。
旧道を15分ほど歩き、舞木町西交差点で再び国道1号と合流します。
国道を横断して、反対側の歩道へ渡ります。田んぼの遥か向こうに山中八幡宮の赤い鳥居が見えます。
再び、国道歩きが始まります。
国道脇にあるホテル アントワネットの先からも、山中八幡宮へ入る階段が続いています。山中八幡宮には、徳川家康が三河の一向一揆と対峙した際に、家康が隠れて難を逃れた洞窟があります。
時刻は12時ちょっと前です。ちょうど山中八幡宮の入り口脇にカフェがあったので、今日もカフェで昼食を摂ります。アンティークなランタンや時計が飾られているなかなか居心地の良い店です。ここは、営業日は金土日で、終日、モーニングタイムだそうです。コーヒーにサンドイッチをいただきました。
およそ20分、休憩してから街道歩きを再開します。すぐの市場町交差点角にあるローソンの前で国道から左の旧道に入ります。
藤川宿
国道から反れて、すぐに、二又に分かれます。東海道は左の道に入ります。分岐付近は東棒鼻跡になっていて、藤川宿の江戸側の入り口です。
棒鼻の説明板や東海道標石、
傍示杭や石垣に竹矢来も備わっています。広重の「東海道五十三次 藤川 棒鼻ノ図」に模して再現されています。ここは盛り沢山ですね。
広重の「東海道五十三次 藤川 棒鼻ノ図」です。
そのまま進むと、桝形を右に曲がります。
続いて左へ曲がります。先ほど棒鼻跡で分かれた道と合流します。
左へ曲がる角の右手には秋葉山常夜燈が立っています。