2023年10月7日
藤川宿
広重の東海道五十三次に描かれた棒鼻の風景を模した傍示杭や石垣、柳の木があり、何枚かの説明板が並んでいる藤川宿の入り口から曲手(桝形)を抜けると、直線の続く藤川宿に入ります。
この辺りは加宿の市場村で、慶安元年(1648年)に加宿を設けた際に、市場村から人々が移転してきました。現代では格子造りの建屋を残すように住民の皆さんが努力されているそうです。
右手には津島神社の社標が立っています。本殿はここから北の国道1号を越えたところに鎮座しています。
連子格子の家が点在し、街道の雰囲気を出しています。
街道の中でひときわ目立つ建屋は「あおう人形」本店です。節句人形の専門店です。
狭い路地の奥には称名寺が見えます。
本堂には白い象がいます。
問屋場跡を通ります。
左手にある旧家は旧米屋です。江戸時代に米穀商を営んでいた商家跡で、築160年くらい経っています。岡崎市の景観重要建造物に指定されています。
その隣は商家銭屋跡です。
銭屋の向かいは本陣跡です。冠木門や、
高札場が再現されていて、公園になっています。
公園奥には、藤川小学校の児童が育てているむらさき麦栽培地があります。5月には茎や穂が紫色になる麦です。
むらさき麦は江戸時代に栽培されていた幻の麦で、藤川地区では町おこしの一環で栽培を復活させています。うどん、パン、クッキー、ビールなどが商品化されています。むらさき麦のクラフトビール、おいしそうです。
本陣の先には脇本陣跡があります。享保4年(1719年)の大火の後に再建された門が残っています。
門をくぐると藤川宿資料館が建っています。戸が閉まっていてちょっと入りづらいです。
脇本陣跡の石碑や説明板、藤川宿マップなどがあります。
門の脇には藤川村道路元標があります。
向かいのT字路の角には藤川宿の石標が立っています。
右手には関山神社へ向かう常夜燈が鎮座しています。関山神社の祭神は天手力雄命、須佐之男命、仁徳天皇で、こちらも国道1号の向こう側に位置しています。
藤川小学校の前には西棒鼻跡があります。東棒鼻同様にモニュメントが並んでいます。
松に隠れていますが傍示杭も立っています。
広重の師匠である歌川豊広の狂歌碑には、
藤川の しゅくの棒はな みわたせば 杉のしるしと うで蛸のあし
杉のしるしは傍示杭で、付近の店でぶら下げて売っているゆで蛸の足を藤の花に見立ています。
街道の反対側には十王堂が建っています。
十王堂の傍らには芭蕉句碑があります。
爰(ここ)も三河 むらさき麦の かきつはた
この句からもむらさき麦がよく知られていたことがわかります。この芭蕉句碑は高さが1.6mもあり、芭蕉句碑の中では最大級のものだそうです。
その先には一里塚がありました。
朽ちかけた木製の標柱と説明板が立っています。藤川の一里塚で日本橋から数えて79里目の一里塚です。
松並木が現れます。
すぐのところで、道は二又に分かれます。右の道が東海道で、左側が吉良道です。吉良の浜で製塩された塩が運搬される塩の道とも言われています。
分岐には吉良道の道標が立っています。
名鉄本線の踏切を渡ります。
踏切を渡ると藤川の松並木道に入ります。