今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(13)丸子宿~岡部宿~藤枝宿~藤枝 その1

 

2023年3月20日

 

丸子宿

 

 今日は静岡駅前からしずてつバスに乗って丸子橋入口へ行き、そこからスタートします。

 少し早めにホテルを出て、駅前を散策します。北口広場に立っている像は竹千代と今川義元ですね。奥の道路際にある家康像は逆光でうまく写真が撮れませんでした。

 

 南口に回ると、清水駅前にもあった久能山東照宮里程標塔が立っています。「従是 貮里拾壱町」と記され、東照宮まで9kmのようです。大正4年に立てられました。

 

 7:27発のバスに乗り込みます。

 

 バスは8時前に丁子屋裏にある国道1号沿いのバス停に着きました。

 

 8:05に街道歩きを始めます。まずは土手から丸子橋を望みます。菜の花がきれいなのですが、丸子川には水の流れが見えません。砂利の下を流れているのでしょうか。

 

 丸子橋を渡った右手のスペースは高札場跡です。この場所で実際に掲げられた3枚の高札のレプリカが掲示されています。また、この付近には京方の見附もありました。

 

 山々が迫ってきます。元宿を歩きます。

 

 やがて国道1号の歩道に出ます。

 

 しばらく交通量の多い国道脇を歩き、赤目ヶ谷交差点で左折して、すぐのところを右折します。

 

 赤目ヶ谷地区を歩きます。

 

 丸子紅茶の標識が架かっています。なんと「日本の紅茶発祥の地」だそうです。

 明治の初めに茶園を開いた多田元吉は、その後に中国やインドへ渡り紅茶の製造方法を学びました。帰国した後にこの地で紅茶の生産を始め、これが発祥の地のゆえんです。

 

 長源寺脇で再び国道に出ます。長源寺にはその多田元吉の墓があります。

 

 国道脇からファミマの裏を回り、赤目ヶ谷中交差点を横断歩道橋で渡ります。

 下り方面の眺めです。

 

 横断歩道橋を渡り、国道1号から右の道へ入ります。脇には金色の観音様が立っています。

 

 その先、丸子川を渡らず道なりに進むと、またしても国道1号に出るので、国道脇の歩道を歩きます。

 

 丸子川に沿って歩いて行きますが、先ほどの丸子橋と比べこちらは水量がありますね。

 

 その先の境川交差点に架かる歩道橋を渡り反対側の歩道へ移ります。

 

 歩道橋を下った脇には「一りづかあと」の碑が立っています。宇津ノ谷の一里塚で、日本橋から数えて、47里目の一里塚です。

 

 そのまま歩道を歩いて道の駅へ向かいます。

 

 道の駅で小休止します。この先に見える横断歩道橋をさらに渡る予定です。

 

 建屋の中にはこれから訪れる宇津ノ谷地区の町並みの模型があります。現在の町並みのようです。

 

 道の駅の脇から「つたの細道」へ入ることができます。つたの細道は奈良時代から戦国時代まで使われた宇津ノ谷峠越えの道で、伊勢物語にも出てきます。現代もひっそりとした峠越えのできるハイキングコースとして人気があります。ちなみに、これから越える峠道は、戦国時代に豊臣秀吉の小田原攻めのために整備された道だそうです。

 

 道の駅から、菜の花を見ながら国道1号の歩道を歩いて行くと、車道はトンネルに入ります。右側の上り車線のトンネルは昭和のトンネル、左側の下りのトンネルは平成に造られたトンネルです。

 

 東海道はトンネル手前の歩道橋を渡って右側へ出ます。

 

 歩道橋の階段を下り、国道から右へ入る県道を進むと、いきなり、趣のある家並みが、

 

 続きます。いいですね!

 

 道路脇のコブシが満開です。

 

 宇津ノ谷地区へは左の石畳の道に入ります。いよいよです。

 

 丸子川を渡ると宇津ノ谷地区です。「下見板張り」と言うそうですが、板壁の家並みが美しい!

 

 ここでは、昔の景観を残すために、建屋の修繕には昔ながらの工法や材料にこだわっているそうです。そこに住んでいる方々には大変な話ですが、いつまでも残してもらいたいものです。

 

 お羽織屋では明治天皇が休憩されました。御小休所の碑が立っています。

 

 お羽織屋は豊臣秀吉が小田原攻めの際に、茶店の主に羽織を与えたことからその屋号が使われています。

 

 

東海道(13)丸子宿~岡部宿~藤枝宿~藤枝 その2へ続きます。