2024年2月17日
菅谷
武蔵嵐山駅に8:00過ぎに到着しました。天気は曇りです。今日は曇りのち晴れの予報なので雨は降りません。そして気温ですが、今週は15℃を越え、20℃に迫る日もありました。今日の最高気温は10℃くらいに戻りますが、今朝の気温は寒いのか?、暖かいのか?・・・寒いようで暖かいのでしょうね。このところの気温の上がり下がりに振り回されているようです。8:10に歩き始めます。
すぐにスタート地点の嵐山駅入口交差点に着くので、右折して鎌倉街道に入ります。今日のコースの大部分は児玉往還と重なります。
途中、嵐山三差路交差点は寄居方面へ向けて直進します。その先で 坂道を下り、東武東上線の踏切を越えます。
志賀堂沼と呼ばれる沼の脇を通ると、嵐山町役場入口西交差点に出ます。
交差点の角には志賀観音堂が建ち、その前には多くの石仏が並んでいます。志賀観音堂は比企西国観音霊場二十八番の札所として賑わっていました。これら石仏は江戸から明治にかけて建立されたものだそうです。
志賀地区を進みます。児玉往還でもあります。
玉ノ岡中学校南入口交差点を右折して杉山城跡へ寄り道をします。
標識が立っています。
県道から右折すると田んぼの中の道に変わります。左手前方の丘に杉山城跡があります。
相生橋で市野川を渡ります。
市野川です。どこかで通った記憶があると思っていたら、思い出しました。日光千人同心街道を歩いた時に松山宿の先で渡りました。
相生橋の先で、左へ入る標識が立っています。
積善寺へ向けて坂道を上り始めます。
すぐの二又は左へ入ります。角には4基の庚申塔が立っています。
積善寺の前を通ると、短い距離ですが急坂を上ります。隣には中学校がありますが、中学生も毎日大変そうですね。
急坂を上り切ると広場に出ます。杉山城内に入ります。
さらに進むと、正面には折り重なる土塁が見えてきます。この辺りは出郭と呼ばれていました。
杉山城は所々に高度な築城技術の跡が見られ、杉山城跡のパンフレットを引用すると「築城の教科書」と称されています。発掘調査の結果から戦国時代に山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するために築城したと推定されています。
出郭の先は大手口で、正面には土塁が立ちはだかり、左の細い小口を通って外郭に入るようになっています。小口の手前には深い堀が切り込まれています。
外郭の堀を隔てた向こうには馬出郭があります。往時は木橋が架かっていて、敵の侵入の際、木橋を落とせるようになっていました。今は階段で堀を渡ります。
馬出郭から両側が堀で挟まれた細い郭を通ると、
城跡の西側が眺望できます。民家が密集しているあたりに鎌倉街道が通っています。
一旦馬出郭に戻り、両脇に堀で挟まれた虎口を上ると、その上の南三の郭に入ります。さらに、南三の郭の西側の虎口を抜けて右へ歩いて行くと井戸跡に出ます。
こんな山の上で井戸があるなんてと思いましたが、説明板によると、城山の下が岩盤層なので、雨水は地下には染み込まず、今でも水が湧いているそうです。確かに水たまりが出来ています。大きな石で蓋がされているのは、廃城の際に敵方に使われないようにしたと考えられています。
南三の郭から南二の郭へ上がります。ここの虎口は食い違い虎口と呼ばれ、左右の土塁が平行にずれています。
南二の郭から本郭を目指します。
南二の郭から堀に下りて本郭を目指しますが、切岸が高くそびえ立っています。これでは攻めるには難しいでしょう。