今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(21)妻籠から中津川 その4

 

2016年5月21日

 

是より北 木曽路

 

 左手には島崎藤村直筆の「是より北 木曽路」の石碑が立っています。かつてはこの地が信濃と美濃の国境で、木曽路はここで終わりになります。桜沢の「是より南 木曽路」の石碑から、11宿を延べ6日間掛けて歩いてきたことになります。

 また、芭蕉の句碑もあります。

 「送られつ 送りつ果ては 木曽の穐(あき)」

 平沢の入口にあった句と同じです。

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 その先には新茶屋の一里塚があります。両塚が現存し、両塚の脇に石碑が立っています。日本橋から数えて83里目の一里塚です。

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 このあたりが十曲(じゅっこく、もしくは、つづらおれ)峠と呼ばれています。馬籠宿からここまでほとんど下り坂だったせいか、峠という感じはしません。しかしながら、ここから長く急な下り坂が始まります。

 右手の石畳の下り坂に入ります。

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 しばらく下ると先ほどの車道に合流します。ここまでの120mの石畳は平成17年(2005年)に山口村が中津川市に合併した記念に整備されたものです。

 車道を横断して、先の石畳を下ります。

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 ここから840mに渡り、落合の石畳が続きます。往時に十曲峠の急な坂道を大雨から守るために石畳の道が造られました。現在はこの石畳の道が復元されていますが、部分的に江戸時代からの石畳が残っています。街道の雰囲気が良く出ています。

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 石畳を下って10分強で小さな橋を渡って車道に出ます。

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 さらに下って行きます。

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 左手には医王寺があります。境内に立つ枝垂れ桜の大木が目を引きます。

 お寺の前に医王寺の説明板がありますが、残念ながら下半分が消えかかっていて読みづらいです。医王寺は山中薬師と呼ばれ、本尊は薬師如来で、行基の作と伝えられています。また、落合宿名物の狐膏薬の謂れがあります。刀傷に良く効くことが有名で十返舎一九の「木曽街道 続膝栗毛」にも登場します。

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 小石が埋まっている中山道の道に従って、T字路は左折します。落合の町並みが近くなってきました。

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 もう一度T字路を左折して下っていくと正面には落合川にかかる下桁橋が見えてきます。

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 落合川を渡ります。新茶屋の一里塚から急坂を下り続けて25分、やっと麓まで下りてきたようです。途中、多くの外国人ハイカーとすれ違いましたが、落合宿から馬籠宿までの上りは結構大変だと思います。

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 左からの道と合流します。合流点には飯田道追分道標が立っています。下の写真は合流点から振り返って見たもので、左の道が今来た中山道、右が飯田道です。

 また、中山道の付け替えの説明板があります。十曲峠の道があまりにも急なため何度か付け替えられて今の道になったようです。

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 落合川の脇を歩きます。結構、急流です。

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 民家の間を進むと、県道7号と合流します。角には高札場跡の石碑が立っています。県道を横断して先の坂道を上ります。

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落合宿

 

 その先で、桝形を右に曲がり、落合宿に入ります。

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 桝形を曲がったすぐの右手には上町の秋葉様の常夜燈が立っています。寛政4年(1792年)に落合宿では4基の常夜燈が通りに建立されましたが、明治になって道路整備のために3基は別の場所に移され、この常夜燈だけが残されました。

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 落合宿の町並みです。静かな通りです。

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 右手には井口家本陣跡があります。落合宿は文化12年(1815年)に大火に見舞われました。本陣もその後再建されました。上段の間が残されています。本陣の門は加賀前田家から寄贈されたものです。

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 その先、道路の上に立派な松の木が見えてきます。この松は善昌寺創建当時に山門を覆っていたことから門冠(もんかぶり)の松と呼ばれています。明治になって道路整備が行われ本堂は道路脇に移築されましたが、この松はそのまま残されました。樹齢は450年と言われています。

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 門冠の松の前が京側の桝形で中山道は左に曲がります。角には石柱道標が立っています。「右至中仙道中津町一里」と刻まれています。大正年間のものです。

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 結構きつい急坂を上ります。

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 おがらん橋で国道19号中津川バイパスを渡ります。おがらんとは「お伽藍」と書きます。近くに木曽義仲を育てた中原兼遠の子である落合五郎兼行の城があり、お伽藍様と呼ばれていました。

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 橋を渡ったすぐの左を下っていきます。

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 民家の点在する道を進みます。

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 その先でT字路に突き当たるので左折します。

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 今度は中津川バイパスの下をくぐります。

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 国道をくぐるとすぐのT字路を右折して中山道に戻ります。いつの間にかカラー小石の道が途切れていましたが、ここから復活します。

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 さらに急な坂を上って行きます。与坂と呼ばれています。

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中山道(21)妻籠から中津川 その5へ続きます。

  

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