2022年10月2日
茅野の一里塚
新田中のバス停から路地を右に入ると、住宅地の中に一里塚跡があります。一里塚碑と説明板がひっそりと立っています。茅野の一里塚で、日本橋から数えて、ちょうど、50里目の一里塚です。
茅野市のホームページでは、ここから先の旧道は中央本線の線路を越えるように示されていますが、現在はその道を辿ることができません。
バス停と一里塚跡の間には双体道祖神が祀られています。
県道に戻るとその先の宮川交差点で道は三方向に分かれます。県道から一旦分かれて真ん中の道を進みます。(下の写真の右手直進方面)
しばらく歩くと、先ほど別れた県道と左から再び合流します。
県道の向かいには3階建ての「かんてんぐら」が建っています。結構、遠くからでも目立っています。
かんてんぐらは岡谷にあった繭蔵を寒天倉庫としてこの場所に移築したものです。明治から大正にかけて諏訪地方では生糸産業が栄えていました。昭和に入りその衰退と入れ替わり、茅野近辺での寒天の製造が盛んになってきました。この付近には岡谷で100年くらい使われた繭蔵を移築した寒天倉庫がいくつかあるそうです。
現在はその役目も終え、多目的ホールとして活用されています。まさにSDGsですね。
かんてんぐらの隣には三輪神社や鈿女(おかめ)神社が建ち、ちょうど祭りの時期なのかイベントが催されていました。
三輪神社は大和の三輪神社から勧請されたもので、大国主命らが祭神とされています。本殿は文化元年(1804)、拝殿は文政3年(1820年)に建立され、明治41年(1908)に改築されたものです。
鈿女神社は新しく、昭和8年(1933年)に安曇の松川村の鈿女神社より分社して地元の商業界が守っています。おかめ様が心のやさしさと癒しを与えてくれるとともに、鈿の字を分けて金田女神社として、お金の貯まる神社として愛されているそうです。今日はちょうど御柱を並べ、建てようとしていたところです。
かんてんぐら前の駐車場の隅には明治天皇茅野御小休所の碑が立っています。
かんてんぐらの道を隔てた対面にはみそ製造の丸井伊藤商店があります。みそと書かれた煙突と大きな味噌樽が目を引きます。
さらに、街道を進みます。電柱のないスッキリとした通りです。
かんてんぐら駐車場に立つ観光マップを眺めていると、近くに木落し公園があるのを発見したので、寄り道をすることにします。
右手食事処やまとの角の路地を右に入ります。
路地に入り、道なりに緩やかな坂を上っていくと大きな赤い屋根の宗湖寺の前を通ります。宗湖寺はこの地を治めた諏訪氏ゆかりの寺です。
宗湖寺の墓地の脇を進み、線路を跨ぐ歩道橋を渡ります。少々老朽化しているようです。
跨線橋から公園が見えます。お目当ての木落し公園です。
公園には御柱が展示されています。御柱の前後に「めどでこ」がV字に付けられています。
その先が木落し坂です。結構落差があります。斜度はどのくらいなのでしょうか。
こちらは上社の木落し坂です。下諏訪の中山道で立ち寄った木落し坂は下社の方です。御柱祭は数えで7年(実年は6年)に1度行われる諏訪大社の行事です。天下の大祭と呼ばれ、今年(2022年)がその年にあたります。
山から曳行、木落し、川渡し(上社のみ)、里曳き、建御柱の順で行われます。木落しの後、右手に見える上川を渡り、里曳きへ続きます。中でも最大の見せ場は木落しであることは言うまでもありません。4月から5月にかけて行われますが、今年はコロナの影響で川渡しとともに中止になったそうです。
木落し坂の斜面は、昔、地理で習ったあの糸魚川ー静岡構造線の作る断層崖です(とブラタモリでやっていました)。糸魚川ー静岡構造線は諏訪湖で湖の北側と南側で別れています。諏訪湖は断層と断層の間で陥没して、水が溜まった断層湖と言われています。
左脇の階段を伝って木落し坂を下ります。そろそろ紅葉が始まる時期です。
下から見ても高さが分かります。
木落し坂を後にして、中央本線のガードをくぐり、街道へ戻ります。
水路の流れる住宅街を歩いていきます。
県道との交差点、上川橋交差点を右折して再び県道に入ります。
上川橋を渡ります。現在の上川橋は令和元年(2019年)に架け替えられましたが、親柱は昭和10年(1935年)に造られたものをそのまま再利用しています。瀟洒なデザインです。
上川橋から北アルプスを臨みます。
茅野駅南交差点の先、ベルビアの角を右に入ります。
すぐに、茅野駅前に出ます。
どこから入るのかちょっと迷いましたが。茅野駅に到着しました。
時刻は13:35です。本日は4時間15分の行程でした。すぐに入って来たあずさに乗り込み帰路につきました。