今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(7)入生田~箱根宿 その3

 

2022年11月12日

 

畑宿の一里塚

 

 畑宿の町並みを過ぎて、旧道の細い道に入ったその先で、一里塚跡に出ます。畑宿の一里塚です。発掘調査と江戸時代の文献から復元されました。東塚にはケヤキ、西塚にはモミの木が植えられていたそうです。日本橋から数えて23里目の一里塚です。

 

 左手にある東塚です。

 

 東塚から両塚を眺めます。

 

 再び、石畳の道に入ります。いよいよ外輪山の急登が始まります。

 

 箱根新道を越える橋にも石畳がひかれています。まあ、いいっか。

 

 杉木立の中の石畳はとても雰囲気が良いものです。ここにも石畳の排水構造を示す説明板が立てっています。

 

 石畳の坂道を25分ほど登り続けると、正面に県道に上がる階段が見えてきます。

 

 県道に出て、さらに左手へ上っていきますが、階段を上る時に気づかなかった西海子坂碑が県道から見えます。

 

 県道が右にへアピンカーブした先で、左手の階段を上ります。

 

 すぐに、左にヘアピンで回ってきた県道に出るので、再び県道脇の歩道に入ります。

 

 県道も右に左に上ってきています。かなりの急斜面ですね。

 

 箱根新道の下をくぐります。自転車も大変そう。

 

 さらに、県道を上っていきます。味気ないですが、こちらの方が階段より楽に上れます。

 

 再び、箱根新道の下をくぐります。自動車専用道路の箱根新道も県道と絡み合いながら連続カーブで上っていきます。

 

 すぐに、箱根新道の上を越えます。

 

 その先で階段が見えてきます。階段の登り口には橿の木坂の説明板が立っています。江戸時代に箱根の山を越える旅人にとって最大の難所と言われていました。その様子が歌にも残っています。

 橿の木の さかをこゆればくるしくて どんぐりほどの涙こぼるる

 

 もちろん、現代の旅人にとっても最大の難所です。

 

 ひとしきり上ってさらに階段が続きます。

 

 一旦、県道に出ますが、すぐに、階段が現れます。

 

 結構、辛いですね。

 

 やれやれ。

 

 え、まだ上るの。

 

 階段途中で一休み。県道の七曲りが見渡せます。

 

 ひとしきり上るとT字路に出ます。直進はこの先県道に、左手は箱根旧道なのですが、「新設歩道」とも記されています。とりあえず、見晴茶屋からの眺望を期待して直進方向を選びます。

 

 さらに、階段を上っていくとすぐに県道に出るので左折します。

 

 県道を歩きます。どうやら箱根東坂の難所、七曲りは越えたようです。歩道にはおそらく旧道歩きの人のために石畳風ブロックが敷かれています。

 

 見晴茶屋バス停の先に見晴茶屋跡があり、樫の木平の説明板が立っています。ここからは遥か小田原の町や相模湾を眺めることができます。

傍らにある現代の見晴茶屋は閉まっています。

 

 さらに県道脇を歩きます。紅葉が進んでいます。

 

 県道を歩いて10分強で、須雲川自然探勝歩道の説明板の前に出ます。左手から上ってくる遊歩道は先ほど、県道に出る前に分かれた新設歩道です。この辺りは猿滑坂と呼ばれています。猿でも上れない急坂でした。

 

 

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