今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(7)入生田~箱根宿 その5

 

2022年11月12日

 

権現坂

 

 芦ノ湖を見渡せる急坂には権現坂という名前が付けられています。これまで名前の付いた坂道をいくつ越えてきたのでしょうか、結構、歩きごたえのある旧街道東坂歩きでした。

 

 疲れた足にはこの急な石畳の下りは応えます。着地する石を一つ一つ定めながら足を進めなければいけません。

 

 そして元箱根の町中まで降りてきました。石畳の道も終わり、歩道橋を渡ります。

 

 その先の土道を進みます。これは杉並木の名残りでしょうか?

 

 箱根旧街道は舗装道路に出ます。

 

 傍らには、ケンペルとバーニーの顔のレリーフが刻まれた碑が立っています。ケンペルはドイツの博物学者でオランダ通商使節に同行して、元禄4年(1691年9年)と翌年に箱根を訪れ、箱根の自然の美しさを世界に伝えました。

 バーニーはこの地に別荘を建てたオランダの貿易商で、ケンペルが日本を紹介した「日本誌」の序文を引用して、大正11年(1922年)に「自然を大切にするように」といった石碑を自ら立てました。その石碑は、この隣に移設されています。

 

 旧道は舗装道を進むことになりますが、すぐの右手の草道を下りました。

 

 お寺の敷地の脇を通り、すぐに国道1号に出るので左折して元箱根港方面へ向かいます。車は渋滞、歩道は人であふれています。紅葉時期の週末なので仕方ありません。

 

 芦ノ湖が広がっています。

 

 箱根神社一の鳥居の先は国道の両側に杉並木が続きます。渋滞の車も続きます。

 

 国道の左手には一里塚碑が立っています。葭原久保の一里塚です。日本橋から数えて24里目の一里塚です。

 

 一里塚碑の先、数メートル進んだ歩道橋の下より、国道から反れた杉並木道が始まります。杉並木の石碑が立っています。しばらく下草小木が生い茂っていて杉並木の全容を見ることができません。

 

 ようやく杉並木の雰囲気が出てきました。


 入口から8分、500mほど歩くと杉並木の道も終わりになります。出口付近に立つ説明板には、この杉並木を守るため、杉の栄養根を育成するための対策が記されています。

 土を柔らかくする。空気を土に送り込む。栄養根付近に人が踏み込まないようにするといった対策だそうです。少しでも長く残ってもらいたいものです。

 

 杉並木の出口から横断歩道を渡り、国道右手の歩道を進みます。恩賜箱根公園の駐車場角を右に入り、箱根関所へ向かいます。

 

 次の角を左折します。

 

 杉の巨木の残る道を下っていくと、正面には箱根関所が復元されています。江戸口御門の前には、通行の審議を受ける旅人が待つ千人溜と呼ばれる大広場があります。

 

 千人溜から山側を見上げると遠見番所が建っています。関所破りを監視していました。


 関所跡は、通り抜けは無料ですが、施設の見学と資料館は有料になっています。せっかくなので見学していきます。

 

 江戸口御門から敷地に入ると右手は大番所・上番所休息所、左手が足軽番所が並んでいます。下の写真は京口御門から振り返って見たところです。

 大番所は関所改めを執り行うところで、足軽番所足軽の控室や寝所となっていました。箱根関所の役人は小田原藩から派遣されていました。

 

 資料館へも寄ってみました。まじめに見ると相当時間がかかりそうです。

 

 資料館へ行く途中、富士山の山頂部だけを見ることができました。

 

 京口御門を抜けます。

 

 土産屋が並ぶ道を抜けると、国道1号に出るので、右折します。

 

 

箱根宿

 

 箱根関所から右折すると、箱根宿の直線の道が続きます。

 

 箱根ホテルは旧本陣はふや跡に立っています。箱根宿には本陣が6軒もありました。箱根宿は箱根八里の通行のために多くの宿泊客で栄えました。

 

 駅伝の記念碑です。「若き力を讃えて」

 

 そして、箱根町港バス停に到着しました。今日の街道歩きはここまでとします。時刻は13:35。5時間15分の行程でした。

 箱根町港13:38発の新道経由箱根湯本行きバスに乗り込み、湯本駅へ向かいます。

 

 バスは箱根新道をスムーズに下り、今朝も渋滞だった新道出口から三枚橋付近で渋滞に巻き込まれましたが、30分弱で箱根湯本駅前に到着しました。土産を買って小田急線で帰路につきました。

 

 

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