今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(4)南町田から京王永山 その2

 

2023年2月18日

 

本町田

 

 現代の鎌倉街道からおんな坂を上り、菅原神社の社殿前に出ます。菅原神社は元応年間(1319~1321年)に大沢正純が菅原道真を祀ったのが始まりと言われています。

 

 拝殿正面から、おとこ坂を下っていきます。かなりの高台にあることが分かります。

 

 都道3号から鳥居越しに社殿方面を望みます。

 

 菅原神社交差点を渡り、現代の鎌倉街道を少し戻って稲荷坂橋へ向かいます。

 すぐのお米屋さんの角を左折します。

 

 恩田川に向けて稲荷坂を下っていきます。

 

 稲荷坂橋で恩田川を渡ります。川沿いの道は歩行者と自転車専用の遊歩道になっています。

 

 比較的広い通りを横断してすぐのT字路を左折します。

 

 段丘崖の淵に沿って歩いてくと、養運寺の入り口に出ます。少し養運寺に寄り道をしましょう。きれいに手入れされている生け垣の間の階段を上っていきます。

 

 養運寺は永禄10年(1567年)に浄土宗の寺として開創されましたが、それより以前、文永年間(1264~1274年)、つまり鎌倉時代には天台宗の寺があったそうです。

 

 養運寺も段丘崖の上に建っています。木々に隠れていますが、右手に菅原神社の森が見えます。

 

 養運寺から5分強、住宅街の中を歩くと宏善寺の門があります。宏善寺は文永8年(1271年)、日蓮がこの寺を訪れ、住職を教化してから日蓮宗の寺に改めたと言われています。

 養運寺付近からここ宏善寺あたりまで、鎌倉街道沿いに宿場があったと言われています。鎌倉を出て最初の宿泊場所だったようです。今は全くその面影はありません。

 

 街道はやがて今井川(恩田川)沿いに出ます。

 

 町田市のレクリエーション施設のあるひなた村入口です。

 

 橋を渡り今井川沿いをさらに歩きます。

 

 本町田東小学校脇では今井川は暗渠となり、その上に「なかよし散歩道」と名付けられたせせらぎ遊歩道が造られています。やたらと太陽光パネルが並んでいるのがちょっと残念ですが、照明灯のためのようなので仕方ありませんが。

 

 せせらぎの道を通って、やがて、広い道に突き当たるので左折します。

 

 左からの現代の鎌倉街道都道18号との交差点、今井谷戸交差点を歩道橋で渡ります。

 

 鎌倉街道セブンイレブンの左手の路地に入ります。

 

 セブンイレブンの裏手のT字路を左折して、いよいよ七国山へ向かいます。

 

 T字路を左折すると、上り坂が始まります。坂道を5分強上ると町田ダリア園の前を通ります。ダリアは夏の花なので、今はやっていません。

 

 10分ほどで、右手のさらに急な坂道に入ります。

 

 すぐのところで道は三方に分かれるので、真ん中の土道に入ります。

 

 土道に入ります。昔はちょうど馬が通れたくらいの道幅でしょうか。

 

 土道もすぐに終わり、右手からの舗装道に入ります。合流地点の近くに鎌倉井戸跡があります。かつては鎌倉井戸と呼ばれる古井戸があり、元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めの際に軍馬に水を与えたと言われています。昭和50年代頃までは水が湧いていたそうですが、現在は埋められ、井戸の木枠のようなモニュメントが置かれています。

 

 その隣には「七国山鎌倉街道の碑」と記された石碑が立っています。七国山の頂上はこの付近で、かつては7つの国を望むことができました。標高は128.5mです。

 

 その先で道は二又に分かれますが、鎌倉街道は左へ入ります。

 

 分岐には鎌倉古道の標識があります。

 

 左手の木々の合間から山崎の町並みが見えます。

 

 さらに、これぞ古道と言える道を歩きます。

 

 鎌倉井戸から10分ほど歩くと道が二手に分かれる場所に出ます。標識はありません。右へ大きく反れても嫌なので左の道へ入ります。

 

 落ち葉の敷き詰められた道を進むと、やがて栗林のある開けた場所に出ます。その先には住宅地も見えます。

 

 やがて、舗装道路に出ますが、そのまま直進します。この先で、今はない鶴見川にかかる橋の際まで行こうと思いましたが、住宅が立ち並んでいてよくわからなかったので諦めました。突き当りの手前を左折して鎧橋を目指します。

 

 

鎌倉街道上道(4)南町田から京王永山 その3へ続きます。

 

鎌倉街道上道(4)南町田から京王永山 その1へ戻ります。