今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(3)ゆめが丘から南町田 その2

 

2023年2月4日

 

柳明

 

 柳明(やなみょう)地区に入り、道はやがて二股に分かれます。鎌倉街道は左の道を進みますが、右の坂道を上って寄り道をします。

 

 右に入ってすぐの左手には道祖神が祀られています。

 

 その先には柳明神社があります。廃寺になった大石寺の跡に神明社を移したもので、昭和50年(1975年)に柳明神社と改められました。

 

 神社の裏手には八王子道(鎌倉道)と神奈川道の道標が立っています。

 

 分岐に戻り、鎌倉街道に入ります。この光景は先ほど分岐の前で見た構図と全く同じですね。

 

 その先は相沢川脇の道を進みます。相沢川は手前で境川に合流しています。

川の反対側にあるスポーツ公園を過ぎた橋の先から砂利道になります。

 

 白鷺や鴨がいて、のどかな雰囲気です。

 

 しばらく砂利道が続きます。

 

 やがて舗装道に変わり、反対岸の上和田中学校横にある橋を渡り、反対岸沿いを進みます。

 今歩いてきた道は横浜市泉区、先の道は横浜市瀬谷区、川の反対側の中学校までが大和市になっています。3市区の境界になっています。

 

 相沢川の反対側で瀬谷区に入りますが、こちらにも遊歩道があります。河津桜が花を咲かせています。

 

 さらに、瀬谷さくら小学校脇を通ります。

 

 突き当りを左折します。

 

 住宅街を歩くこと10分で県道45号、中原街道に出ます。鎌倉街道はここを横断して直進しますが、横断して、右手の宗川寺に寄り道をします。

 

 すぐの左手に宗川寺があります。宗川寺は寛永2年(1625年)に開山されました。山門奥の2本のイチョウは夫婦銀杏と呼ばれ、縁結び、安産祈願の信仰を受けています。横浜市の名木古木に指定されています。

 また、入口脇には「中原往還と瀬谷問屋場跡」の説明板が立っています。中原往還(中原街道)は徳川家康が平塚(中原)に御殿を建てた際に江戸との間で利用した街道です。瀬谷には問屋場が置かれ、江戸時代の270年に渡って人馬の取次を行っていました。問屋場があったのは東へ80mほど行ったところです。

 

 街道に戻り、すぐのところにあるT字路を道なりに右へ曲がります。直進方面が鎌倉街道の旧道跡ですが、途中で途切れています。

 

 すぐの二又は左へ入ります。

 

 途中に竹やぶがあり、のどかな道です。

 

 しばらく歩くと、三叉路の真ん中に石塔が立っています。

 

 地神塔や道祖神が並んでいます。

 

 石塔群の先が左馬社です。

 

 ここも7つあるサバ神社の一つです。祭神は源義朝です。こちらの神社も神仏習合の名残で梵鐘があります。

 

 左馬社の先は西福寺です。左馬社の別当にあたります。瀬谷八福神めぐりの幟が立っています。瀬谷地区では七福神に加えて達磨大師を入れた八福神参りが有名です。西福寺は布袋様を祀っています。

 

 西福寺の角で、突き当りを左折します。

 

 道なりに右へ曲がります。左からの道は、先ほどの旧道の途切れた先の道になります。

 

 厚木街道を横断して直進すると、ここにも交差点の真ん中に石塔があります。

 

 こちらも地神塔です。車除けで守られています。

 

 相鉄線のガード手前の交差点に到着しました。ここで右折して瀬谷駅近くで昼食を取ることにしました。

 

 昼食を取り終えて、街道との交差点に戻り、相鉄線のガードをくぐります。その先の大門小学校の前を通り過ぎ、徳善寺に向けて右折します。だいぶ暖かくなってきました。2月に入り、日差しも少し強くなった気がします。

 

 階段を上がると左手にはお地蔵さんが迎えてくれます。

 

 正面には仁王門が立ちはだかっています。立派な門です。

徳善寺は瀬谷八福神のうち毘沙門天を祀っています。

 

 街道に戻りその先へ歩きます。突き当りを左折しますが、右折して寄り道をします。少し歩くと川口製糸株式会社跡の説明板が立っています。旧瀬谷村では養蚕業が盛んで製糸工場が建ち並んでいました。川口製糸の前身は明治35年(1902年)に創業し、昭和34年(1959年)まで製造を続けていました。製糸の品質は国内トップクラスで全てを米国へ輸出していました。現在は個人のお宅になっています。

 

 

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