今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(4)南町田から京王永山 その3

 

2023年2月18日

 

山崎

 

 七国山の古道を下り、住宅地を抜けて、新鎧橋で鶴見川を渡ります。東海道で渡った鶴見川橋からはかなり上流に来ています。本来は東側に架かる丸山橋で越える予定でしたが、休憩のためベルクへ向かいます。

 

 新鎧橋に続き鎧橋を渡ります。かつての鶴見川は蛇行していて、鎧橋が架かっていましたが、川の流れを真っ直ぐに付け替えたため、新たに新鎧橋が架けられました。鎧橋とは鎌倉武者と何か関係あるのでしょうかね。

 

 ベルクで30分ほど休憩した後、北側を走っている芝溝街道(都道57号)を東へ向かいます。

 

 交通量の多い芝溝街道を歩き、途中の神奈中の営業所の前あたりから左の坂道へ入り、その先、野津田高校の東側脇を通る道も旧鎌倉街道の道筋と言われています。

 しかし、ここは素通りして、ベルクから10分ほど歩いたところにある、右手からの丸山橋を渡ってくる旧街道との交差点に出ます。ここで左折します。

 

 ここから野津田越えの上りの道になります。鎌倉街道は遊歩道として整備されています。

 

 交差点を左折した脇には「地神斎」と記された地神塔が立っています。

 

 坂を上っていくと鎌倉古道の石碑もあります。

 

 その先で歩道は終わりかと思いましたが、

 

 左手柵の向こうに「鎌倉古道(上ノ道)」の標識が見えます。中に入れないのかと思いましたが、

 

 ちゃんと入口があって入れます。

 

 ここからしばし凹状に掘られた古道を上っていきます。この道を守っている方々が手間をかけて整備されているとのことで、大変ありがたいことです。

 

 その先で野津田公園内の草原に出ます。どうやら柵の中の道が鎌倉古道のようです。

 

 柵の道は丘陵部の縁を通ってグランドの脇まで続いています。

 

 グランドの脇から丘陵部へ上ります。ここからは古道をトレースしてないと思われます。おそらくこのまま北へ延びて、公園の北入口あたりの新屋敷まで続いていたはずです。

 

 結構急な上りが続きます。

 

 急な上りも終わり、下っていくと右手にピクニック広場が見えるところで舗装道に出ます。

 

 舗装道をしばらく歩きます。

 

 すぐに、GIONスタジアム前の駐車場脇に出るので、左折してスタジアムの外周道路に入ります。

 

 外周道路を進みます。

 

 陸上競技やサッカーのできる立派な競技場です。

 この先で、外周道路は野津田高校脇からの旧道と合流します。旧道に沿ってはいないと思いますが、そのまま、西入口にある大山道の一里塚まで行ってみます。

 

 ぐるっとスタジアムを半周して西入口の門から出ます。

 

 公園の門からすぐのところに一里塚跡があります。小野路の一里塚です。写真の左右の道は、元和3年(1617年)に徳川家康の遺骨を久能山から日光東照宮へ移す際に整備されたもので、それと共にこの一里塚も設置されました。東海道平塚宿から甲州街道府中宿を結ぶ脇往還(御尊櫃御成道とも矢倉沢往還とも)として利用され、大山詣での人で少し先の小野路宿もたいそう賑わいました。このため大山道とも呼ばれていました。

 

 南側の塚は復元されています。

 

 北側にも塚らしきものがあります。「おおやまみち小野路一里塚」と記された石碑が立っています。

 

 右折して大山道に入ります。

 

 かなり下っていきます。

 

 都道156号に出るので右折して小野路宿を目指します。

 

 すぐの左手には小野神社があります。小野神社は天禄年間(970~973年)に武蔵国司としてこの地に赴任してきた小野孝泰が先祖の小野篁(たかむら)を祀ったのが始まりと言われています。

 

 神社の隣には小野路宿里山交流館があります。この里山交流館は小野路宿にあった6軒の旅籠のうちの一つ、角屋を改修して利用しています。主屋の隣にある土蔵には、早くもひな人形が飾ってありました。

 ここで、本日、3度目の休憩を行います。奥さんはブルベリージュース、私はお汁粉をいただきました。

 

 40分ほど休憩した後、小野神社前交差点を左折して小野路宿に入ります。先ほどの新屋敷まで伸びているもう一方の鎌倉街道はこの交差点で右から合流します。

 

 小野路宿の町並みです。板塀の家並みと片側に水路が流れ、なかなか風情のある通りです。

 

 

鎌倉街道上道(4)南町田から京王永山 その4へ続きます。

 

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