今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(5)京王永山から北府中 その1

 

2023年3月4日

 

永山

 

 3月です。朝もだいぶ暖かくなりました。今日は15℃くらいになる予定です。そして、押し寄せています。花粉が。

 10時前に京王永山駅に到着しました。2週間ぶりの永山駅です。10時ちょうどに街道歩きをスタートします。今日も同行者がいます。

 

 駅前から10分ほど歩き、京王線の高架を横切る街道との交差点が本日のスタート地点です。ここを右折して鎌倉街道に入ります。

 

 すぐに大橋で乞田川を渡ります。西側上流に目をやると、雪を頂いた富士山の頭だけ望むことができます。

 

 やがて街道は中央分離帯のある多摩ニュータウン通りに遮られてしまうので、右手の新大橋交差点まで迂回して、その先を直進します。

 

 すぐに六差路の乞田交差点に出ます。

 

 都道157号の右手に伸びる2本の通りのうち左側の道に入ります。

 

 緩やかな坂を上り、さらに左手の上り坂に入り、多摩市役所方面へ向かいます。

 

 市役所の角に古市場の標柱が立っています。小田原北条氏の時代に、この辺りの平地で月に6回、市(六斎市)が開かれ、伝馬の取り次ぎが行われる関戸宿が形成されていました。

 

 市役所の前で、一旦旧道が途切れ、右手に下っていきます。下を通る都道に出る手前で左折して坂を上ります

 

 すぐのT字路を右折しますが、ここから再び旧道に繋がります。

 

 傍らには「鎌倉古道」と記されている手書きの標識が立っています。

 

 ちょうど梅の花が満開です。

 

 沓切坂を下ります。沓切坂の由来は、元弘3年(1333年)に新田義貞がこの坂を上った際に馬の沓が切れたとか、正平7年(1352年)に新田義興が鎌倉から足利尊氏を追ったときに、馬の沓を取って走らせたとか、言われています。

 

 沓切坂を少し下って振り返ると、これは切通しの跡でしょうか。

 

 坂を下り、下の都道18号と合流します。

 

 都道18号を歩き、次の信号のある交差点は熊野神社前交差点です。

 

 交差点左手の高台に熊野神社が見えます。

 

 鳥居の脇には「都史跡 霞ノ関南木戸柵跡」の石碑が立っています。

 

 鳥居をくぐると、霞ノ関南木戸柵跡の説明板が立っています。建歴3年(1213年)に鎌倉街道に設けられた木柵の関でいわゆる監視所が設けられました。この辺りの地名である関戸もこの関所からくるものです。

 柵跡には丸太を等間隔に並べた痕跡が残り、現在は短い柱の列が再現されています。柵跡はこの先の乞田川岸まで続いています。一方、こちらは南木戸跡ですが、この先の観音寺脇には北木戸があり同様に柵跡があるそうです。南木戸と北木戸の間が関所跡にあたります。

 

 熊野神社は延徳元年(1489年)に紀州熊野三社を勧請したのが始まりと言われています。

 

 熊野神社からの眺めです。この乞田川沿いの鎌倉街道も高台の縁を通っています。

 

 街道に戻ると、右手道端には常夜灯と馬頭観世音がひっそりと立っています。

 

 ところどころ、旧鎌倉街道筋を示す地図があります。

 

 この地図を見つつ、次の信号のある交差点で左折して坂を上ると観音寺があります。観音寺は建久3年(1192年)に唐僧が観音菩薩を草庵に安置したのが始まりと言われています。

 先ほどの熊野神社の説明板では霞ノ関北木戸柵の痕跡がこの付近にあるとのことでした。

 

 お堂の左手奥へ入ると六観音が祀られています。

 

 

鎌倉街道上道(5)京王永山から北府中 その2へ続きます。