2023年4月29日
お鷹の道
現国分寺からお鷹の道に入ると、緑に囲まれた雰囲気の良い小径歩きになります。すぐの右手には、史跡の駅「おたカフェ」があります。
テラス席もあって、オープンな雰囲気も味わえますが、結構、客が入っています。妻とケーキセットを注文し、しばし休憩を取ります。
おたカフェの前には武蔵国分寺跡史跡指定100周年のマンホールがあります。店では子供たちにそのマンホールカードを配っていたようです。
街道歩きをしていると、たまにマンホールの蓋の写真を撮りますが、マンホールカードなるものが存在することは初めて知りました。
おたカフェの向かいには、本多家長屋門があります。おたカフェで入場料を払い、門から中に入ると、おたかの道湧水園を散策したり、武蔵国分寺跡資料館を見学することができます。
この長屋門は国分寺村の名主を務めていた本多家の屋敷の入り口にあったもので、江戸末期に建てられたと言われています。もともと長屋門は武家の屋敷に見られますが、農家にあるのは珍しいそうです。
中に入ると自然の中で森林浴を楽しむことができます。敷地は国分寺崖線沿いにあるため、段丘崖からの湧水源や湧き水をたたえた池もあります。
こちらは、武蔵国分寺跡資料館です。国分寺の発掘調査時に出土した土器や甕、瓦などを展示しています。
当時の武蔵国分寺全体の様子を示す模型です。手前に七重の塔、その奥に金堂などの伽藍中枢部が見えます。
また、園内には1/10スケールの七重の塔の模型も立っています。武蔵国分寺の七重の塔は他の建物を建築するのに先駆けて建立され、おおよそ60mの高さがあったと推定されています。しかし、承和2年(835年)、雷火によって焼け落ちてしまいました。その後、元の場所で再建されたと言われています。
七重の塔の発掘調査時に、礎石の残る塔跡とそこから55m離れた場所にもう一つ、礎石のない塔跡が発見されましたが、再建との関連性は分かっていないそうです。
長屋門を後にして、さらにお鷹の道を東へ歩いて行きます。
こんなところや、
湧き水を集めた水路沿いの道を進みます。
所々でカラーの白い花が咲いています。見頃です。
お鷹の道の来た道を戻り、途中、通り過ぎた真姿の池湧水群に寄り道をします。
湧水源からの流れです。そこそこの水量があります。
湧水源です。
古多摩川が削る武蔵野台地の浸食崖の縁から湧き水が染み出ています。浸食崖は国分寺崖線と呼ばれ、立川から大田区あたりまで続いています。武蔵野台地に降った雨が関東ローム層をゆっくりと浸透し、その下の礫層を通って、浸食崖の下からしみ出しています。国分寺崖線にはこのような湧水源がいくつかあります。
ぷくぷくと水が湧き出ています。
湧水源の脇から浸食崖を上ります。教科書通りの地形ですね。
階段を上るとそこは台地の上にある史跡公園になっています。
段丘崖を下ってお鷹の道に戻ります。
確かにホタルにとって環境の良さそうな川です。あと1か月半くらい経つと、ホタルが飛ぶのを見ることができそうです。
そして、現国分寺まで戻って門をくぐります。
本堂の龍の彫り物が立派です。
国分寺の境内は万葉植物園になっていて、国分寺市の天然記念物に指定されています。元住職がこの寺が栄えていた時に編纂された万葉集から当時の文化、習慣を知ろうと、関連した草花を収集して境内に植えました。その傍らには、草花の名前とそれにまつわる和歌を記した説明書きが添えられています。現在(平成4年(1992年)当時)、約160種類の草花が集められています。素晴らしい!
現国分寺本堂からさらに西へ進むと、車通りに出ます。
その角から、段丘崖の上にある国分寺薬師堂を訪れることができます。
階段を上り、まずは仁王門をくぐります。
さらに階段を上ると、
薬師堂が建っています。建武2年(1335年)に新田義貞の寄進により国分寺僧寺の金堂跡に建立されたと伝えられていましたが、宝暦年間(1751~1763年)にこの場所に再建されました。薬師堂には国分寺の本尊である薬師如来坐像(国の重要文化財)が安置されています。ひっそりとした佇まいを見せています。
だいぶ国分寺界隈の散策に時間がかかってしまいましたが、薬師堂前から西へ住宅街を抜け、府中街道に出てからさらに300m弱南下して、先ほど通った国分尼寺跡からの道へ戻ります。
先ほどくぐった武蔵野線の高架を再びくぐります。