今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(3)ゆめが丘から南町田 その1

 

2023年2月4日

 

下飯田

 

 8:30くらいに小田急線経由で相鉄線ゆめが丘駅に到着しましました。青空も見えていますが、雲が多い天気です。予報では晴れになるようです。2月に入ったとはいえ、まだまだ朝は寒いです。

 8:35に開発中の駅前を後に出発します。

 

 駅前からの道を少し下っていくと、およそ5分で本日のスタート地点に着きます。前回は駅からの道と左手の車道とが交差する間にある、これぞ鎌倉街道と言える細い道を通ってきました。今日は車道を横断して正面の細い路地に入ります。

 

 細い道をさらに下っていきます。

 

 江戸時代、代々名主を務めたお宅の黒塀が見えてきます。正面には立派な長屋門が建っています。

 

 左手には境川が作る平地が広がっています。

 

 その先で、クランク状に曲がりながら、先ほど横断した車道に合流します。

 

 上飯田に入ります。ここにも長屋門のお宅があります。

 

 車道に入ってから10分ほど歩くと長後街道に出ます。その手前の右手に入る道は、旧大山道と言われています。

 

 交通量の多い長後街道を横断します。その先で、旧道っぽい右の道に入ります。

 

 右の道に入ったところをさらに右折すると正面には無量寺があります。文禄2年(1593年)に開山されたと言われています。入口の脇に立つ大イチョウの木が目を引きます。

 

 旧道っぽい道を通り、すぐに元の道に合流します。

 

 上飯田団地を抜けると両側には田園風景が広がります。

 

 その先の右手には飯田神社があります。鳥居脇には地蔵像、七観音像、庚申塔、道祖伸が並んで立っています。暖かそうな掛け物を着ていて、地元の人の心がこもっていますね。

 

 鳥居をくぐります。飯田神社は境川や和泉川沿いに7社ほどあるサバ神社の一つです。祭神は源義朝で飯田五郎家義が祀ったとされています。

 

 境内には神仏習合の名残で梵鐘もあります。

 

 その先、いちょう団地入口交差点の1つ先の交差点を左折します。

 

 左へ入り、すぐの右手には甲子塔が立っています。元治元年(1864年)に建立されたものです。

 

 いちょう団地脇の上飯田せせらぎ緑道を通ります。せせらぎがどこにあるのでしょうか。暗渠になっているんですね、きっと。

 

 一旦、住宅街を通る道から団地の外周道路に出て、すぐそばの小学校脇の二又を右に入ります。

 

 いちょう団地前交差点の脇の十字路を右折して寄り道をします。晴れ間も見えますが、なんと、わずかに雪が舞ってきました。

 

 しばらく坂を上っていくと、

 

 左手には本興寺があります。冠木門をくぐります。

 

 参道に入ると立派な朱塗りの仁王門があります。傍らには本興寺が所有している「絹本著色法華曼宝塔荼羅(けんぽんちゃくしょくほっけほうとうまんだら)」の説明板があります。法華経の説話を絵にしているようです。横浜市有形文化財に指定されています。

 

 本興寺は元は鎌倉の日蓮ゆかりの地にありましたが、万治3年(1660年)にこの場所に移ってきました。

 

 いちょう団地前交差点脇の十字路に戻り、鎌倉街道の先を進みます。

 街道脇には二十三夜塔と道祖神が立っています。二十三夜塔は、二十三夜月に集まり月を拝みつつ、飲食をしたりする講中の人々が立てた記念塔や供養塔です。

 

 再び、団地の外周道路脇の遊歩道に戻るとせせらぎが現れます。流れは緩やかです。お散歩コースには最適で、多くの人がウォーキングを楽しんでいます。

 

 団地が途切れた先で東海道新幹線の高架の下をくぐります。

 

 途中の羽太郷土資料館の脇には、「江戸柳明古地図」の説明板が立っています。この先の柳明(やなみょう)地区には商家が建ち並んでいました。今歩いている道は「新田義貞公進軍の道」とも記されています。羽太郷土資料館は閉まっていました。

 

 この辺りでよく見かける光景です。鎌倉街道境川の作る平地(田んぼ)と台地の縁を通っています。昔ながらの民家は台地側に建っています。

 

 旧柳明地区を歩きます。

 

 

鎌倉街道上道(3)ゆめが丘から南町田 その2へ続きます。