今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(6)北府中から西国分寺 その3

 

2023年4月29日

 

武蔵国分尼寺跡

 

 JR武蔵野線の高架をくぐると武蔵国分尼寺跡に出ます。尼寺は僧寺に比べると小ぶりで、しかも区画内東端を武蔵野線がかすめています。

 

 発掘調査により、中門、金堂、尼坊跡が確認されています。この他、講堂、鐘楼、経蔵もあったと想定されています。

 

 中門付近から金堂跡に向けて歩いていきます。

 

 金堂基檀跡の上に立ちます。

 

 基壇の北側には版築と呼ばれる工法を用いた跡が観察できるようなっています。

 

 版築とは古代の建築物等の土台を築く工法で、穴を掘り、周囲を木枠で囲ってそこに何層もの土を固めながら積み上げるものです。この金堂の基檀では30層の土が重ねられているのが確認されています。基壇は水に弱く、基壇の側面は玉石を積み上げ、その周囲には排水のための溝が切ってありました。

 

 金堂の先には尼坊跡があります。礎石は全て残っていませんでしたが、礎石下の跡から、部屋割りが5坊に分かれていたと推定されています。

 往時の伽藍から推定すると、金堂と尼坊の間には講堂が、その東側には鐘楼、西側には経蔵があったはずですが、確認はされていません。

 

 尼坊のすぐの北側には塀の柱跡や溝跡の痕跡がありました。現在、板塀が再現されていますが、板塀なのか土塀なのか、どのような塀で囲まれていたのかは不明のようです。金堂や尼坊の中心線の延長には塀の開口部があり、北門があったと想定されています。

 

 その先は、芝生の広がる広場になっています。

 

 さらにその先で、やっと鎌倉街道に戻ります。

 

 車止めのある先は、伝鎌倉街道と呼ばれ、往時の切通しのある街道の雰囲気を残しています。

 

 鎌倉街道から右手に上る階段があります。尼寺北方塚と記されています。

 

 階段を上ると眺めの良い高台に出ます。おそらく国分寺僧寺方面だと思います。これまで見てきた国分寺崖線の緑地が平野部を囲んでいます。この高台も崖線の上部にあたるところでしょう。

 

 車止めの先も雰囲気の良い道がしばし続きます。

 

 その先で鎌倉街道武蔵野線の線路で遮られてしまいます。遮られた先は府中街道の泉町交差点あたりへ続いています。

とりあえず、泉町交差点まで迂回するため、線路脇の道を歩きます。

 

 ここからは区画整理された住宅地なのでどう通っても構いませんが、線路脇から道なりに左へ曲がって、その先の突き当りを右折して、さらに道なりに左折して、突き当りを右折すると都道145号の泉町陸橋脇に出ます。

 

 右折すると都道145号脇の歩道橋で武蔵野線を渡ることができます。

 

 武蔵野線を越えた先には都道145号と府中街道都道17号)との交差点、泉町交差点に出ます。この先、旧鎌倉街道府中街道脇を北へ向かいますが、ここで、さらに寄り道をします。歩道橋で府中街道を横断して、都道145号をさらに東へ進みます。

 

 すぐの蕎麦屋の角を右折して路地に入ります。

 

 道なりに左折すると、

 

 右手には、東山道武蔵路跡の史跡があります。東山道は古代に制定された行政地区の一つで、近江国美濃国飛騨国信濃国上野国下野国陸奥国が属していました。そして、奈良の都から各国府へ通じる官道が整備されていました。奈良時代には武蔵国東山道に属することになり、武蔵路は上野国から武蔵国府までの支道として整備されました。

 下の写真は、マンションとマンションの間を南へ向かう武蔵路を示しています。道幅は12mでその両脇には側溝が掘られていました。

 

 東山道武蔵路は先ほど訪れた国分寺僧寺と国分寺尼寺の間を通り、国府府中市)へ通じていました。国分寺市では国分寺跡に加えて武蔵路跡も併せて史跡として保存、整備に取り組むことになりました。

 この後、ここから少し北側にも武蔵路の痕跡があるようなので、そちらへも寄ります。

 

 この遺跡の南端にはこの地から望めたであろう想像図が掲げられています。

 武蔵路の段丘崖の上から、平地部の左手には国分寺僧寺、右手には国分寺尼寺が並び、さらに一直線に続いている道のその先には武蔵国府が望めたという構図になっています。天平の時代に思いを巡らせることのできるとても良い掲示です。

 

 再び、泉町交差点に戻り、歩道橋を渡って、鎌倉街道を北へ向かって歩きます。

 

 次の信号のある交差点で、タワーマンションの1階にセブンのあるところを右折します。

 

 府中街道から入ると緑が多くなります。

 

 日本芸術高校の前を右折します。

 

 先ほどの東山道武蔵路公園から北へ武蔵路を辿ると日本芸術高校の裏手に出ます。ここには遺構再生展示施設があります。

 

 発掘調査から得られた往時の道の形状のレプリカが展示されています。写真の長手方向が武蔵路の道幅方向で、手前と反対側には側溝跡が見られます。そして、道の中央がV字に凹んでいます。これは人や馬が通行していくうちに踏み固められて凹んでいったと考えられています。武蔵路は、ここから北は武蔵野台地から浸食崖を下って恋ヶ窪谷へ続いています。この坂道では傾斜を緩やかにした切通跡も確認されています。

 

 遺構再生展示施設から南の方向を望みます。東山道武蔵路の道幅で車道や歩道が貫かれています。おそらく、手前の赤いアスファルト面にある両側の黄色い線は側溝があった跡を示しているものだと思います。

 

 武蔵路を南に向けて歩いて行くと右手の脇に説明板が立っています。写真は振り返って遺構再生展示施設方面を見ています。

 

 鎌倉街道に戻り、次の西国分寺駅南入口交差点で本日の街道歩きを終わりにします。交差点を左折して、武蔵野線の高架下をくぐり、その先で南口に出ます。時刻は14:20です。本日の行程は、一駅分しか進んでいませんが、4時間30分の行程でした。

 

 

 

 

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