今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

甲州街道(12)台ケ原から富士見 その2

 

2022年6月4日

 

鳥原

 

 石尊神社の鳥居の立つ参道を過ぎると、もう一つの常夜燈が立っています。鳥居の立つ参道を挟んで、街道沿いの手前とここの2か所に鎮座しています。

 

 常夜燈の脇には、西國四國秩父坂東供養塔が立っています。各巡礼達成記念で建てたものでしょうか。その隣は馬頭観音のようです。

 

 今日の八ヶ岳も少し雲が懸かっています。

 

 これは蕎麦の花でしょうか。

 

 信号はないのですが、比較的交通量の多い交差点を横切ると、その先から急な上り坂になります。

 

 流川橋で流川を渡ります。坂を上って川を渡るのもなんとなく変です。

 

 

教来石宿

 

 民家が増えて、道なりに左へ曲がると国道20号に突き当ります。下教来石交差点です。右折して教来石宿に入ります。

 

 交差点のすぐのところを左へ入って寄り道します。

 

 国道から歩くこと5分弱で右手には、教来石宿の名前になった教来石があります。道端には説明板も立っています。

 

 畑の中に見える大石は経来石(きょうらいし)と言い、「へてこていし」とか「へてこいし」とも言われています。「清ら石」が訛ったともいわれています。かつては日本武尊を祀った祠があり、日本武尊がこの石の上で休憩したという伝説も残っています。

 石の上には双体道祖神馬頭観音が祀られています。

 

 街道に戻りすぐの左手には、明治天皇御小休所址の碑が立っています。教来石宿本陣があった場所です。

 

 街道は郵便局の角から右へ入ります。

 

 釜無川の作る段丘崖の上を進みます。かなりの高低差です。

 

 河岸段丘の下には一面田んぼが広がっています。これが、明治天皇が愛でた田んぼでしょうか。

 

左手の少し高いところに諏訪神社があります。諏訪神社の本殿は天保15年(1844年)に再建されたもので、見事な彫刻で飾られています。

 

 その先の左手には明治天皇御田植御通覧址の碑が立っています。明治13年1880年)6月23日に眼下に広がる田植えの風景を楽しみました。

 

 街道端には庚申塔も立っています。

 

 加久保沢橋で加久保沢を越えると上教来石地区に入ります。かつての教来石宿は本宿の下教来石と加宿の上教来石から成っていました。

 

 その先には、御前水跡の碑が立っています。明治天皇はこの沢の湧水を飲まれました。

 

 郵便局の脇で国道から別れて20分弱で再び国道20号に合流します。

 

 国道の反対側には地蔵菩薩庚申塔馬頭観音が並んでいます。この地蔵菩薩は近くにある教慶寺を開いた蘭渓禅師が村人の難儀を払うために安置したと言われています。

 

 すぐに、国道から右の道へ入ります。分岐には「歓迎 清流と緑のふるさと」と記された塔が立っています。

 

 その先、街道脇には巡禮四國八拾八箇所供養塔が立っています。

 

 静かな上教来石地区の町並みです。

 

 緩やかな坂道を上っていきます。

 

 大目沢を渡ると視界が開け、田んぼの中の直線道が続きます。

 

 田んぼが広がる手前右手には、山口関所跡があります。「鳳来山口関址」と記された石碑と説明板が立っています。甲州二十四箇所の口止め番所の一つで、信州口の国境を守っていた関所です。

 

 道の反対側には西番所跡の碑が立っています。こちらは徳川幕府が設けた番所の跡です。

 

 田んぼの中の一本道を歩きます。ここまで来ると七里岩を形成していた浸食崖もかなり低くなっています。

 

 

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