今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(18)浜松~舞坂宿~新居町 その3

 

2023年5月20日

 

舞坂宿

 

 浜松駅から延々と大通りに沿って、標石や説明板、常夜燈屋形の数々を眺めつつ、神社も訪れながら歩き続けてきましたが、舞坂の松並木まで来てやっと街道の雰囲気を味わうことができるようになりました。そしてたどり着いたのが舞坂宿脇本陣茗荷屋です。

 茗荷屋は天保9年(1838年)に建てられました。今でも上段の間を含む書院棟が残り、東海道では脇本陣唯一の遺構です。脇本陣の姿を後世に伝えるために平成9年(1997年)に母屋棟も含めて復元されました。

 

 上段の間が残っています。

 脇本陣では、本陣がいっぱいの時には大名や公家が泊まるようになっていましたが、普段は庶民が利用する旅籠も兼ねていました。すでに、江戸の世という平和な時代になっていましたが、思ったよりはコンパクトな造りでセキュリティの面では大丈夫だったのでしょうかね。

 

 中庭から上段の間方面(書院棟)を眺めます。

 

 脇本陣を一通り見学させてもらい、帰り際にボランティアの方に近所の美味しいご飯の食べられるところを聞くと、一押しで「魚あら」を教えてもらいました。土日は結構並ぶけど、今は大丈夫そうだよと言われ、魚あらへ向かいます。

 脇本陣を出た左手には、舞坂宿3つめの西町の常夜燈が立っています。文化10年(1813年)に仲町の常夜燈と共に建立されました。

 魚あらへは常夜燈のある角を左折するとすぐのところにあります。

 

 魚あらではすぐに、浜名湖や舞阪漁港が目の前に見える座敷に通されました。この店の名物は車エビの活天丼ですが、海鮮丼を注文しました。カツオやブリ、特に鯛など白身系の魚のぷりぷり感のこの上ないこと。美味しくいただきました。

 50分ほどゆっくりしてから常夜燈のある十字路に戻ってきました。左折すると浜名湖畔への下り坂になっています。ここは、舞坂にあった三つの渡船場のうちの一つ、本雁木(がんげ)跡です。東海道はここから、浜名湖の反対岸にある新居関所までの約1里半を船で渡ることになっていました。今切の渡しと呼ばれていました。この本雁木は多くの旅人が利用したメインの場所で、これより南にあるのは荷物の積み下ろしの渡荷場、北にある北雁木は大名や幕府役人が利用していました。北雁木はこの先、立ち寄ります。

 

 本雁木を下るとそこは漁港になっています。気持ちが良いので湖畔沿いを歩いて北雁木へ向かいます。

 

 湖沿いを歩くとすぐのところに北雁木跡に出ます。

 

 街道から水際まで緩やかな石畳のスロープが続いています。舞坂の渡船場は、明暦3年(1657年)から寛文元年(1661年)にかけて整備されました。幅は10間(約18m)ほどありました。

 

 街道に戻り、弁天島へ渡るために弁天橋へ向かいます。橋の手前には常夜燈のモニュメントが立っています。

 

 浜名湖はかつて砂州遠州灘と区切られていた淡水湖でした。明応7年(1498年)に起きた大地震津波で、砂州の一部が切れて、海と湖が繋がり、現在のような汽水湖になりました。海と繋がった場所は、「今、切れた」ということで「今切」と呼ばれるようになりました。その後も高潮の被害を受けて水域が広がり、現在のような弁天島ができました。

 弁天橋を渡ります。現代は歩いて新居まで辿ることができます。南に見える橋は国道1号の浜名大橋で、その先は遠州灘です。海に開いているところが今切口になります。

 

 赤い大鳥居が見えます。どことなく神聖な雰囲気を出しています。でもこの鳥居の名前は「弁天島観光シンボルタワー」と言うようです。我々は本殿がどこにあるのだろうと言っていましたが。

 

 弁天橋を渡ると東海道から別れて左へ入り、弁天島海浜公園沿いを歩くことにします。

 

 水遊びができる浅瀬になっています。ヤシの木が南国のリゾート感を出しています。

 

 山頭火の句碑があります。

  春の海のどこからともなく漕いでくる

 山頭火昭和11年(1936年)にここ弁天島を訪れています。思うままを自由に表現する山頭火の句なので、そのままに解釈しましょう。

 

 まさにリゾートです。

 

 湖畔沿いに弁天島の西端までやってきて、街道(国道301号)に戻ります。中浜名橋東交差点で国道の反対側に移ります。

 

 国道の右側にある中浜名橋の歩道橋を渡ります。両側がフェンスで、なおかつ、国道と東海道本線や新幹線に挟まれているので見晴らしは良くありません。

 

 橋を渡ると湖西市新居町に入ります。

 

 ここはまだ島の中です。

 

 10分ほど歩いて今度は西浜名橋を渡ります。

 

 線路の向こうに浜名湖が広がっているのをわずかに見ることができます。

 

 そして、対岸に渡ります。

 

 西浜名橋を渡り、普通にある街中を歩くこと20分弱で、右手に東海道本線新居町駅が見えてきます。

 

 明日は新居町駅スタートですが、関所が開園する前に通過してしまうので、今日のうちに新居関所を見学しておきます。

 駅から西へ直進して浜名橋を越えると、その先には関所跡があります。

 

 新居関所跡に到着しました。

 新居関所は、江戸時代には今切関所と呼ばれ、慶長5年(1600年)に設置されました。設置時は今切口近くにありましたが、元禄12年(1699年)の暴風雨の影響で移転、さらに、宝永4年(1707年)の地震津波に合い、翌宝永5年(1708年)にこの場所へ移ってきました。

 関所の建物は嘉永7年(1854年)に起きた地震で倒壊した後に建て替えられたもので、関所としては全国で唯一現存するものです。明治に入って各地の関所は破壊されてしまいましたが、新居関所だけは免れて小学校や役所として活用されてきました。

 

 面番所を外から眺めます。関所改めを行う建屋です。

 

 中も見学できます。名札を前に関所役人が控えています。

 

 大きな松の木の袂には、江戸時代の俳人、炭太祇(たんたいぎ)の句碑が立っています。

  木戸しまる音やあら井の夕千鳥

 新居関所にまつわる一句です。

 

 関所側から渡船場跡を望みます。往時はここから湖が広がっていました。西へ向かう旅人は舞坂の渡船場から船に乗り、浜名湖を渡って、この場所で船を降りてそのまま関所に入りました。かつての渡船場の幅は74mありましたが、現在は20~30mほどの幅が残されています。護岸には波除のための杭が打ち付けられていました。

 帰り際に関所史料館も見学します。新居関所や新居宿、江戸時代の交通・旅に関して知ることができます。

 

 関所跡から新居町駅に戻りました。時刻は16:20です。本日は7時間45分の行程でした。東海道本線で浜松駅まで戻り、Sさんは日帰りなので、駅構内で別れました。

 

 

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