今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(21)国府~御油宿~赤坂宿~藤川宿~岡崎宿~東岡崎 その1

 

2023年10月7日

 

国府

 

 豊橋駅から名鉄特急に乗って8:00前に国府駅に到着しました。空は曇っていますが、今日も昨日同様25℃くらいまで暑くなるようです。風は昨日ほどではありませんが、結構強く吹いています。8:00に歩き始めます。

 

 5分弱で本日のスタート地点、新栄2丁目交差点に着きます。右折して東海道に入ります。

 

 古いお宅が残っています。

 

 街道脇には白壁に囲まれた大社神社があります。大社神社は天元・永観の頃(978~985年)に国司の大江定基が三河守として赴任しているときに、三河国の安泰を祈念して出雲国大社から大国主神を勧請したのが始まりです。

 ちょうど、子供会か何かの集まりで朝の清掃があり、子供たちの邪魔にならないようにお参りさせてもらいました。

 

 その先のがましん(蒲郡信金)の生け垣には、

 

 御油の一里塚碑が立っています。日本橋から数えて76里目の一里塚です。

 

 大きな通りとの十字路は姫街道との追分です。右の道が姫街道(本坂通)で浜名湖の北を通って、見付宿の東海道との追分まで至ります。

 

 角には安永3年(1774年)建立の秋葉山常夜燈や秋葉山三尺坊大権現道道標等が立っています。

 

 御油町を進みます。

 

 御油橋を渡ります。レトロな欄干です。

 

 

御油宿

 

 御油橋を渡ると、御油宿の江戸口がありました。

 

 脇には若宮八幡社があります。小さな社ながら狛犬が鎮座しています。

 

 御油宿に入ります。その先の十字路を右折します。

 

 十字路の右手角には、花・ベルツゆかりの地の説明板が立っています。花は明治政府がドイツから招いた医師ベルツの妻となった人です。この地は花の父の熊吉の生家で江戸時代には旅籠を営んでいました。

 

 十字路の角には高札場がありました。

 

 十字路を右折して横町を進み、郵便局の角を左折します。ここを直進してこの先の公民館を回り込むと松並木資料館がありますが、開館まで1時間半もあるので、寄るのはやめます。

 

 御油宿仲町を進みます。

 

 左手には本陣が2軒ありました。

 

 味噌醤油の醸造元のイチビキがあります。かつては旅籠大津屋がありました。

 

 御油宿は続きます。

 

 本陣跡から歩くこと10分弱で松並木が始まります。このあたりに御油宿の京側の口がありました。

 

 松並木の標柱と説明板があります。この松並木は昭和19年(1944年)に国の天然記念物に指定されました。

 

 石碑の右脇には御関札立掛場の説明板があります。御関札とは、宿場に泊まる大名の名前を、宿場の役人が宿泊の3日前に掲示したものです。本陣前を往来する人々に、無礼のないように知らしめるものでした。

 

 街道の左手には十王堂が建っています。

 

 御油の松並木です。隣の赤坂宿の間600mに約300本の松が並んでいます。素晴らしい並木道です。車道は狭められていますが、車通りは結構多いです。保存を考えると、車は通行禁止にして、バイパスを設けるなどはできないものでしょうか。日光西街道(例幣使街道)の杉並木のように保存に向けて取り組んでもらいたいものです。

 

 600m続いた松並木が終わると、天王川を渡ります。

 

 

赤坂宿

 

 橋を渡ると赤坂宿に入ります。

 

 見附跡の説明板が立っています。当初はこの場所にありましたが、寛政8年(1798年)にはこの先の関川神社の前に移されたと言われています。広重の狂歌入り東海道赤坂の浮世絵には、見附の石垣に矢来が描かれています。

 

 赤坂宿を進みます。

 

 すぐの左手には大きなクスノキが目に入ってきます。

 

 

東海道(21)国府御油宿~赤坂宿~藤川宿~岡崎宿~東岡崎 その2へ続きます。