今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(24)鳴海~鳴海宿~宮宿・七里の渡し その2

 

2023年10月22日

 

笠寺

 

 歴史のある笠覆寺(笠寺)の西之門を出ると、どことなく雰囲気のある門前の商店街がしばらく続きます。

 

 大きな通り(環状線)を横切ると、その先で名鉄本線を渡ります。左手が本笠寺駅になります。

 

 東海道は、踏切を渡った次の信号のない十字路を右折します。

 

 対面の角には東海道の道標が立っています。「これより北 よびつき」と記されています。

 

 商店街からすぐに静かな住宅街に変わります。

 

 東海道の道標から10分弱歩くと、左手には長楽寺・清水稲荷の赤い鳥居が立っています。

 

 鳥居の脇には、「東海道 宿駅制度制定400年記念碑」が立っています。かつて、街道の西側は呼続(よびつぎ)浜と呼ばれる磯が広がっていました。ここで獲れた塩が、塩付街道を使って小牧や信州へ運ばれていったと記されています。

 通り過ぎてしまいましたが、東海道のひとブロック手前に、右へ折れる塩付街道の道標が立っていました。

 

 稲荷神社の参道を進むと赤い本殿が建っています。

 

 本殿の前にはニワトリが自由に闊歩しています。もしかしてこのニワトリは? 隣にいるのはカラスですが。

 

 清水稲荷神社から谷を渡って隣の長楽寺へ向かいます。谷を下ると旧今川領という標識が立っています。

 

 堀のような谷ですね。

 

 その先には旧織田領の標識があります。要は、今川領と織田領の国境が走っていたということですが、その領域図はどうなっていたのでしょうか。

 

 長楽寺から東海道に戻ります。

 

 その先のクランク状に交差する道は鎌倉街道です。

 

 右手と左手(トラックの後ろに立っている)の両側にそれを示す標柱が立っています。鎌倉街道東海道が制定される以前に関東と関西の往来に使われていました。

 

 右手、熊野三社の鳥居の脇にも、「東海道 宿駅制度制定400年記念碑」が立っています。古来、川と海に囲まれた呼続一帯は「松巨嶋」(まつこじま)と呼ばれ、風光明媚な場所でした。西側の磯浜は「あゆち潟」と呼ばれ、愛知の起源になったと言われています。また、この先の山崎の地は立場として賑わい、宮の宿より渡し舟の出港を呼びついだことから「呼続」という名前が付けられたとも言われています。

 

 熊野三社の先、道は緩やかに下っていきます。左へカーブしたあたりに、「山崎の長坂」の石碑が立っています。この先の山崎川へ向かって下っているようです。

 

 すぐに、山崎川を渡ります。

 

 山崎橋を渡ると、左折して道なりに少しだけ川沿いを進みます。

 

 下は国道1号、上は名古屋高速3号線が通る松田橋交差点に出ます。歩道橋を渡って横断します。

 

 国道1号は南から高速道路の下を通り、ここ松田橋交差点で西へ曲がります。しばらく、東海道国道1号に沿って西へ進みます。歩道橋をそのまま通って、国道の左側へ渡ります。

 

 内浜交差点で、国道から左の道へ反れます。

 

 国道1号東海道本線の上を越えますが、東海道は踏切を渡ります。

 

 道なりに進むと、熱田橋で新堀川を渡ります。

 

 

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