2023年11月11日
万場宿
土手道から右へ下る所で、対岸にある岩塚宿方面を望みます。写真の左側白い横長ビルの右脇が佐屋街道の突き当りです。そこから旅人は万場の渡しと呼ばれる舟渡しを利用していました。そして、こちら側の船渡し場は、ここから少し下流に行ったところにありました。
土手下に秋葉神社が建っているのが見えます。ガードレールの切れ目から階段を下ります。かつて、この神社は渡し場付近にありました。
階段を下りた脇と奥に常夜燈が2基建っています。
ここにも「まちなか博物館」が立っています。万場の渡しでは昼夜を分かたず渡船することができました。しかし、渇水の時でも歩いて渡ることは許されませんでした。
尾張名所図会に渡し舟の様子が描かれています(原本を一部加工、着色されています)。舟はすし詰めで馬も渡っていますね。
土手上に戻り、先に進みます。名古屋の高層ビル群が見えます。
土手道を下ると道なりに右へ曲がります。
直線の街道脇に、万場宿の町並みが続きます。
趣のある町並みですね。正面に光圓寺の三重塔が立ち、京都みたい?です。
右手には覚王院があります。観音様のお告げで、境内のちちの木の実を食べると、お乳が出るようになったという言い伝えがあります。
覚王院の隣は國玉神社があります。鳥居の右には國玉神社、左には八劔社と記された石柱が建っています。
國玉神社は尾張大国霊神社から勧請されたのが始まりで、延喜式神名帳にも記載されている式内社です。明治になって八劔社を合祀しました。祭神は大物主大神、天照大御神、草薙劒御霊、日本武尊です。
佐屋街道は國玉神社の角を右に曲がります。往時には、この場所に高札場が立っていました。角の左手にある光圓寺の大きな燈籠が目を惹きます。
光圓寺です。この山門は織田信長と斎藤道三が会見をした、あの有名な聖徳寺から移設したものです。会見が行われた聖徳寺は、ここから18km北西の一宮市の木曽川の袂にあったとされていていますが、聖徳寺自体は度重なる木曽川の水害で移転を余儀なくされ、現在、その場所には聖徳寺跡の石碑が残るのみです。
その先の二又は左へ入ります。
静かな通りです。
ガソリンスタンドの先のT字路を右に入ります。
すぐに、先ほど別れた県道115号との交差点、万場交差点に出ます。ここは横断します。
浅間神社の前の分岐は直進し、すぐの分岐は左折します。道なりに進むと、左にカーブして砂子橋の袂に出ます。
砂子橋を渡ります。
新川です。新川は天明7年(1787年)に開削された人工の川です。
右手には、十二所神社の社標と鳥居、常夜燈が立っています。本殿は遥か先に見えるマンションの前にあります。
道なりに右へカーブします。
「旧佐屋街道」の「旧」の字が消されています。新たに佐屋街道と呼ぶようになったのでしょうか。
砂子地区の町並みです。
その先、変則十字路を左折します。正面の民家の塀に高札場跡の標柱が立っています。佐屋街道が整備されたとき、ここ砂子村と万場村が宿場業務を担っていましたが、後に砂子村から岩塚村へ移されました。
さ らに、砂子地区を西へ歩きます。
右手には稲荷社が建っています。比較的新しそうです。
その先の稲屋交差点で、名古屋第2環状高速道の下をくぐります。
さらに、その先、右手の旧道に入ります。