今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(8)東村山から所沢 その4

 

2023年12月23日

 

諏訪町

 

 鎌倉街道は北山公園の先で西武線の線路に遮られてしまいますが、迂回して、線路の反対側へ出ました。そこから鎌倉街道は、右手の住宅街と左手の八国山緑地の間を進みます。やがて、左手にはマンションが現れます。

 

 さらに、左手には新山手病院が建っています。病院の角を左折します。直進方向は「真ん中の鎌倉街道」で、左手に入る「西側の鎌倉街道」との分岐になります。

 

 左折すると八国山の上りが始まります。

 

 やがて、舗装の道は左に反れるので、正面の落ち葉の敷き詰められた道に入ります。

 

 さらに、坂道を上っていきます。これが鎌倉街道の旧道の痕跡なのでしょうか。傾斜はさほどきつくはなく、気持ちの良い雑木林の中の歩きです。

 

 病院の角から上り始めて7分ほどで、尾根道に出ます。標高差でいうと20m強ですね。

 ここで、尾根道を東へ300mほど歩くと将軍塚へ行けますが、将軍塚は後ほどにして、右手脇のあおぞら広場を下って久米川古戦場跡へ向かいます。

 

 あおぞら広場を下ったところで振り返ります。トイレもあります。

 

 その先は八国山緑地の出口です。

 

 舗装道を下っていきます。

 

 やがてT字路に出ます。左右方向は、先ほど分かれた「真ん中の鎌倉街道」になります。T字路を左折します。

 

 その先で北川に架かる橋に出ますが、橋の手前を左折します。

 

 北川脇の遊歩道に入ります。

 

 これはハナミズキの実でしょうか。青空に映えます。

 

 遊歩道は通りと交差します。北川に架かる橋には将陣場橋と記されています。新田義貞にゆかりのありそうな橋ですね。ここで橋を渡らず、左折します。

 ちなみに、この通りを右へ行くとすぐのところに、午前中訪れた板碑の徳蔵寺があります。

 

 再び、八国山の縁を進みます。

 

 どこへ行くんだにゃ。

 

 右手には西宿公園があります。西宿の名は午前中通った鎌倉街道久米川宿の地名に由来しているそうです。

 

 西宿公園の脇には「久米川古戦場跡」の碑と「久米川古戦場」の説明板が立っています。この地では、元弘3年(1333年)に新田義貞鎌倉幕府軍と衝突したのを始め、建武2年(1335年)の中先代の乱、応永23年(1416年)と応永24年(1417)には上杉禅秀の乱など度重なる戦の場所になりました。

 

 来た道を戻り、八国山の上り口に入ります。

 

 再び八国山の尾根を目指します。

 

 冬の雑木林は明るく、木々が空に伸びていますね。

 

 5分ほどで尾根道に出ます。右折して将軍塚を目指します。

 

 気持ちのいい尾根歩きです。八国山の尾根は標高90mくらいです。

 

 左手には将軍塚があります。

 

 新田義貞の鎌倉攻めの際に、義貞がこの地に陣を張り、旗を立てたことで将軍塚と呼ばれるようになりました。元々、古代の塚があったと言われています。

 八国山は、駿河(富士)、甲斐(多波)、伊豆(天城)、相模(箱根・大山)、常陸(筑波)、上野(吾嬬)、下野(日光)、信濃(浅間)の八か国の山々を望むことができたことからそのように呼ばれるようになりました。

 

 近くには「元弘青石塔婆所在跡」の碑が立っています。午前中に見学した徳蔵寺の元弘の板碑はこの場所に立っていました。

 

 近辺ではナラ枯れが発生しているそうです。所沢市のHPを見ると、「カシノナガキクイムシ」という害虫がナラの木に潜り込み、持ち込んだ病原菌が木を枯らしてしまうようです。

 

 

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