今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(8)東村山から所沢 その1

 

2023年12月23日

 

東村山

 

 12月に入り、およそ8か月ぶりに鎌倉街道を歩くことにします。前回ゴールした西武新宿線村山駅からとなりますが、駅舎の高架の工事は、まだまだ続いていますね。天気は晴れですが、結構寒いです。

 芳賀善次郎氏の「旧鎌倉街道探索の旅」によると、東村山から所沢にかけて、鎌倉街道は3本の道に分かれています。

 東側の街道:かつての久米川宿を通り、所沢へ抜ける道(前回の先の道)

 西側の街道:前回通った九道の辻から分岐して、八国山を越えて所沢へ抜ける道

 真ん中の街道:西側の街道を通り、八国山の手前で分かれ、八国山の裾を回り、久米川古戦場跡を通って、東側の街道の途中で合流する道

 東側の街道と西側の街道は所沢の南小学校の角で合流します。

 どの道も見どころがありそうです。ここをどのように攻めるかが問題です。最初は東側の街道で南小学校の角まで歩き、そこから所沢駅へ向かいます。再び電車で東村山駅まで戻り、主に西側の街道を通って(九道の辻までは戻りません)、新田義貞の鎌倉攻めにゆかりのある場所などへ寄り道をすることにしましょう。まずは、9:35に東口から「東側の鎌倉街道」を歩き始めます。

 

 東口からすぐのところを府中街道が通っています。東村山駅東口交差点を左折して鎌倉街道に入ります。「東側の鎌倉街道」は、九道の辻からここまで、おおよそ府中街道に沿っています。

 

 200mくらい歩いたところで左の道に入ります。

 

 左の道に入ると、道幅が狭くなります。民家の塀の前には「旧鎌倉古道跡」碑が立っています。

 

 少し歩くとセンターラインのある通りに合流しますが、さらに、左の道へ入ります。

 

 フットサル場でしょうか。

 

 さらに、住宅街を歩くと、

 

 道の左側に白山神社があります。創建は不明ですが、古くはこのあたりに3つの白山権現が祀られており、延享元年(1744年)にこの地に合祀されたと言われています。

 また、境内の街道脇のお堂には牛頭天王像が安置されています。この天王さまは石造りの丸彫座像で、珍しいものだそうです。脇がガラス張りになっていてそのお顔を拝見できますが、悪を威圧しているかのようなお顔をしています。

 

 その先、麦畑の脇を歩きます。

 

 街道は緩やかに下り、T字路に突き当たり、ここを左折します。

 

 この辺りから北側一帯に久米川宿がありました。左へ進み西武線の踏切を渡ります。

 

 踏切を越えた一つ目のT字路を右折するのが鎌倉街道ですが、直進して寄り道をします。

 

 セブンの前の信号を直進すると、

 

 右手には徳蔵寺があります。手前の大きな建物はお目当ての板碑保存館です。

 

 徳蔵寺は白衣観世音菩薩を本尊として、元和年(1615~1623年)に開かれたと言われています。本堂前の道を右へ行き、拝観料200円を支払ってから、板碑保存館に入ります。

 1階には石器や土器、国分寺の瓦などが展示されています。2階に上がると国の重要文化財である元弘の板碑を中心に多くの板碑が展示されています。

 元弘の板碑は、新田義貞の鎌倉攻めの際、分倍河原と相州村岡で戦死した家臣の菩提を弔うために建てたもので、日付と戦死した場所が記されている貴重なものです。材質は緑泥片岩(秩父産)で高さは147cmもあります。元々は、この後訪れる予定の八国山の将軍塚あたりにあったものを、後に、徳蔵寺に収めました。

 

 踏切脇のT字路に戻り、鎌倉街道を進みます。この辺りは、線路の反対側にある熊野神社を中心に久米川宿がありました。

 現在、この通りは公事道と呼ばれていますが、この辺りに公事所と呼ばれる税務署や裁判所を兼ねた役所があったことに由来します。

 

 左手に水道タンクの塔が見える十字路を左折して、ちょっと、寄り道をします。左折して、さらに、塔の前を斜め右に入ります。

 

 道なりに歩くと北川に架かる橋の脇に出ます。対岸は埼玉県所沢市になります。抜け道になっているのかひっきりなし車が通ります。

 

 ただの普通にあるような橋ですが、欄干には勝陣場橋と記されています。新田義貞行軍に関係がありそうです。

 

 来た道を帰り、鎌倉街道へ戻ります。その先で、二瀬橋交差点に出ます。

 

 交差点の脇には公事道の標識が立っています。

 

 

鎌倉街道上道(8)東村山から所沢 その2へ続きます。