2023年5月3日
小川西町
玉川上水あたりから、直線の鎌倉街道をほぼトレースしてきましたが、これから先はブリヂストンの事業所に遮られてしまいます。
突き当りの六小通りを左折して、すぐの信号のある小平六小東交差点を右折します。
左右にブリヂストンの施設のあるBS中央通りを北へ向かいます。
突き当りを左折して直進します。
その先で府中街道との交差点、小川駅東口交差点に出るのでここを右折します。
右折して府中街道に入ると、府中街道の通りとブリヂストンの敷地の間には緑の遊歩道が続きます。ブリヂストンが提供している散歩道です。
この歩道は正式には「ブリヂストン・パークウェイ」と名付けられていますが、愛称は「ハナウタコミチ」と言い、地元の小学生が名付け親になっているそうです。なかなか良いネーミングです。
400mほど続いた「ハナウタコミチ」も終わると、西武拝島線の高架の下をくぐります。
その先で八坂交差点に到着します。ここから東村山市に入ります。
八坂交差点はかつては九道の辻と呼ばれ、9本の街道がこの辻に集まっていました。府中街道を歩いてきて右手角にある交番の裏に、かつては迷いの桜と呼ばれる桜の木が立っていました。
元弘3年(1333年)に新田義貞の鎌倉攻めの際に、義貞がこの辻のどれが鎌倉への道なのか、後からでも分かるように目印として植えたと言われています。説明板では桜の木が何度か植え替えられ、昭和55年(1980年)に新たな苗木を植えたと記されていますが、今はその姿はなく切り株が残るだけです。
現代の九道の辻は七差路の交差点になっています。迷いの桜の説明板には明治の頃の地図も示されています。
これまで歩いてきた府中街道は「御窪道」と呼ばれています。ここから左回りに通りを見ていくと、隣にあるのはブリヂストンの事業所で途切れた「鎌倉街道」です。そして、現代の江戸街道が「江戸道」、野火止通りが「引股道」です。さらに、この先の府中街道が「清戸道」(おそらく鎌倉街道筋でしょう)、その隣は、現代にはない「奥州街道」(おそらくこちらももう一本の鎌倉街道筋でしょう)が示されています。さらに、「宮寺道」、現代の江戸街道の西側の「秩父道」、「大山街道」が並び、合わせて九本の辻が描かれています。
府中街道を横断して反対側に渡るために交番前に立ちます。下の写真の左右方向が府中街道(左が御窪道、右が清戸道)、斜め左の道が大山街道になります。
少し北側に目をやると、松の木のあるお宅の左側が秩父道、右側が宮寺道(小さくて分かりづらいですが)、手前が江戸道になります。
府中街道を横断すると、大山街道脇に九道の辻の標柱が立っています。この場所は鎌倉から18里、前橋から18里の中間に位置しています。
大山街道に沿って野火止用水が流れています。野火止用水は、老中松平伊豆守信綱が承応4年(1655年)に完成させた玉川上水の功績が認められ、自分の領地に玉川上水からの水を引くことを許されて造ったものです。「伊豆殿堀」とも呼ばれていました。現在の志木市あたりまで流れています。
九道の辻の標柱から東方向を見ると、左斜めの道が引股道、右斜めの道が江戸道になります。
九道の辻の標柱から、府中街道に沿って鎌倉街道を進みます。秩父道を横断する手前にはヤマボウシの花が満開です。
すぐのところで西武多摩湖線の高架をくぐります。右手にある駅は八坂駅です。
高架をくぐると、線路に沿った多摩湖自転車道を横切ります。武蔵境駅付近から多摩湖までの直線区間と多摩湖一周のコースになっています。
左手には八坂神社が見えてきます。
街道に面したところに大きな鳥居が立っています。
八坂神社の祭神は素戔嗚尊で、創立は別当の正福寺が火災に合って資料を焼失してしまい不明ですが、正福寺が建立された弘安元年(1278年)くらいか、正福寺の地蔵堂が建立された應永14年(1407年)のころと考えられています。
空堀川を野口橋で渡ります。
新青梅街道との交差点、野口橋交差点を横断します。
すぐに西武新宿線の踏切を渡ります。新青梅街道に挟まれたこのあたりも渋滞発生区間です。現在は、西武線の高架工事が進められています。
高架工事の手前を左に入ると平和塔公園があります。小山の上に女神像が立っています。
小山の下を右の方に歩いて行くと境塚の説明板があります。江戸時代に新田開発が進み、生活に必要な茅やススキを刈る場所(入会秣(まぐさ)場)をめぐり対立が起こるようになりました。このため、境塚は各村の境界を明らかにするために造られたものです。
高架工事を抜けて、東村山警察署の前を進みます。
踏切から10分弱で東村山駅東口交差点に到着します。本日の街道歩きはここまでとして、左折して西武新宿線東村山駅へ向かいます。
すぐに東村山駅に到着しました。東村山駅では線路の高架に合わせて、駅舎の工事の最中です。時刻は13:15。今日は3時間45分の行程でした。
そして、東村山と言えば、この方ですね。
多くの笑いと感動をありがとう。