今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(11)西大家から大橋 その1

 

2024年1月13日

 

西大家駅

 

 8時前に東武越生線西大家駅に到着しました。関東地方は今日の夕方から雪の予報になっています。今日と明日は大学入学共通テストで、雪になると受験生の皆さんも大変ですが、我々も少し早めに歩き始めることにします。とはいうものの、天気は晴れで極端に寒いというわけではありません。8:05から歩き始めます。

 

 まずは、駅前を右へ行って国渭地祇(くにいちぎ)神社に立ち寄ります。

 社標には「延喜式内村社」と記されていて歴史のありそうな神社です。

 

 鳥居をくぐると右手に拝殿があります。

 国渭地祇神社周辺では秋の豊年を祝う獅子舞が行われていて、「森戸の獅子舞」と呼ばれています。江戸時代から国渭地祇神社の祭でも奉納されています。坂戸市の無形民俗文化財に指定されています。

 

 神社脇の西側の路地に入り、鎌倉街道へショートカットします。この先の万葉遺跡大家が原歌碑へ向かいます。

 

 国渭地祇神社の西の鳥居の前を通り、東武線の踏切から続く鎌倉街道に入ります。

 

 住宅街を抜けると東京国際大学のグランドが広がります。東京国際大学坂戸キャンパスと坂戸西高等学校の標識に従って、寄り道のために左へ入ります。

 

 東京国際大学の入り口脇に万葉遺跡大家が原歌碑と説明板が建っています。

  入間道の 大家が原の いはゐずら ひかばぬるぬる 吾にな絶えそね

 万葉集にあるこの歌は、説明板によると、入間野に生えている「いはゐずら」が、引けばぬるぬると続いて切れないように、私とあなたの関係も続いてほしいといった意味のようです。大家が原は越生から坂戸にわたるこの近辺ではと推定されていますが、確定はされてはいません。入間道はかつての上野と武蔵を結ぶ官道で、のちの鎌倉街道にあたります。また、いはゐずらはジュンサイ説とスベリヒユ説があり、こちらも定まっていません。

 

 鎌倉街道に戻り、先に進みます。このあたりの両側は大学の運動施設になっています。

 

 すぐに森戸橋で高麗川を渡ります。

 

 高麗川の流れです。この上流で、高句麗からの渡来人が住んでいた高麗郷より川の名前が付けられました。

 

 万葉の歌碑から10分ほど歩くと民家もまばらになり、田んぼの中を通ります。

 

 左手の道路脇には馬頭観世音がひっそりと立っています。

 

 高麗川の作る沖積低地から高台へ上っていきます。道は二又に分かれますが、鎌倉街道は左手の方向です。坂戸市から毛呂山町に入ります。

 

 細い路地に入ると段丘崖を上る鎌倉街道の掘割り遺構が残されています。仏坂遺跡と呼ばれています。

 

 左へ入る路地があったので市場神社へ向かいます。

 

 脇から境内に入ります。市場神社は創建は不明ですが三島社を祀ったのが始まりと言われています。市場村の鎮守となり、明治に入ってから市場神社と社名が変わりました。

 

 社殿から参道を西へ歩き鳥居を抜けて、右へ進むと傍らにはお地蔵様が立っています。

 

 道なり右へ曲がり、市場神社の北側を東へ向かいます。

 

 先ほど市場神社へ寄り道するために左折した先の鎌倉街道に戻ると、すぐのところで県道114号に出ますが、ここは横断して、直進します。

 

 道なりに住宅地の中を歩いて行くと、その先で左手の視界が開けます。

 

 葛川に架かる橋を渡り、そのまま田んぼの畔道を直進します。

 

 この畦道が鎌倉街道をトレースしているわけではなさそうですが、鎌倉街道は正面に見える林の方へ続いていたようです。

 

 残念ながら畦道は右へカーブして、目指す方向から遠ざかってしまいます。このため、先ほどの橋の袂まで戻って葛川脇を南へ進み、その前に横断した県道114号に出るので右折します。

 

 県道の歩道を200mほど歩くと、「→ゆず香る歴史の道元気ルート」、「鎌倉街道 約0.4km 歴史民俗資料館 約0.7km→」の標識に従って、右に入ります。

 

 右へ入り、道幅の狭い路地を通ります。

 

 

鎌倉街道上道(11)西大家から大橋 その2へ続きます。