鎌倉街道上道(11)西大家から大橋 その5
2024年1月13日
赤沼
鎌倉街道は赤沼の供養塔の前をしばらく歩くと、それから北側は消滅してしまいます。県道171号を北上して、保健センターの前で右の道に入ると、その先も、旧道らしき痕跡があるようですが、よくわかりません。おしゃもじ通りを北上すると鳩山中学校の角に出ます。どうやら、鎌倉街道は鳩山中学校の敷地の中を南北に貫いているようです。中学校の角には鎌倉街道の説明板が立っています。そのまま、右手の道に入ります。

その先の、駐車場を横切らせてもらうと、

左手の奥から鳩川に架かる小さな橋を渡ることができます。橋の上の渡り廊下は、中学校の校舎から対岸にある体育館へ渡るためのものです。

橋を渡り、テニスコートの脇を過ぎると、車通りに出ます。鎌倉街道の旧道沿いを歩くには、ここを左折しますが、右折して寄り道をします。

車通りを北東へ向けて歩いて行きます。

坂道を上っていく途中で、蕎麦屋のある交差点を右折します。

道を下っていくと、「赤沼古代瓦窯跡」と「石田国分寺瓦窯跡」への標識が立っています。まずは、直進して石田国分寺瓦窯跡へ向かいます。

その先で平地に降りていきます。左手からの鋭角に合流する道へ入ります。

谷戸の地形ですね。

石田国分寺瓦窯跡についての説明板が3枚立っています。

7世紀後半から10世紀前半にかけて、鳩山町では須恵器や瓦が大量に造られていました。広く武蔵国内で流通したそうです。特に白鳳期(7世紀後期から8世紀初頭)と国分寺建立期(8世紀中頃)に盛んに瓦が焼かれていました。ここ石田国分寺瓦窯跡は国分寺建立期のもので、ここで焼かれた瓦は40km離れた武蔵国分寺まで運ばれました。

さらに先へ進むと、左手斜面に木造の小屋が見えてきます。

この小屋は赤沼古代瓦窯跡を保存しているものです。

赤沼古代瓦窯跡も国分寺の瓦を焼いていた窯跡と考えられていましたが、国分寺建立期よりも早い白鳳期のもであることが判明しました。石田国分寺瓦窯跡は瓦専用の窯でしたが、こちらは須恵器も焼いていました。主に関東最大の白鳳寺院であった坂戸市の勝呂廃寺の瓦を焼いていたと見られています。

小屋の中をのぞくと、斜面に沿って地下式登り窯と呼ばれる溝が掘られています。

その先は、農村公園になっています。大沼を中心に芝生の広場や水場、湿性植物園などもあるようです。

駐車場の脇を回って町道へ出ます。左折して直進すると先ほどの蕎麦屋の前を通ります。

さらに、先ほど中学校から橋を渡って突き当たったT字路も通り過ぎると、鳩山駐在所前交差点に出ます。ここを右折して県道41号に入ります。

泉井川に架かる大橋を渡ります。あまり大きな橋ではないのですが、この辺りの地名の由来になっています。

やがて、信号のあるT字路が見えてきました。

鎌倉街道はT字路を右折して新橋を渡りますが、今日の街道歩きはここまでとして、T字路を少し直進した大橋バス停に向かいます。
赤沼の供養塔の前から旧鎌倉街道が途切れてしまいましたが、ここまで付かず離れず、歩いてきたことになります。

信号を過ぎると石仏石塔が並んでいます。

そして大橋バス停に到着しました。時刻は14:35です。今日は6時間35分の行程でした。午前中の天気の良さはどこへ行ってしまったのか、結構寒くなりました。これから雪が降るのでしょうね。でも何とか間に合いました。
14:43発の始発バスに乗って坂戸駅へ向かいます。




*国土地理院の地図を加工しました。