2024年3月31日
鮎川
鮎川の町並みを抜けると、道は鮎川岸に向けて真っ直ぐ伸びています。鎌倉街道は手前の十字路を左折しますが、川岸まで行ってみましょう。
土手の手前には鮎川農村公園があり、水場や休憩所、トイレもあります。
土手上から鮎川を望みますが流れは見えません。
十字路に戻り、田んぼの中を歩いて行くと、その先でクランク状に曲がって進みます。
さらに、クランク状に曲がって進むと、
正面には、この先の緑埜(みどの)橋で鮎川を渡る平井小通りが見えてきます。左へカーブしながら坂を上って通りに出ます。
緑埜橋へ向かいます。
通りからはこれまで歩てきた鮎川沿いに広がる平地を一望できます。
鮎川を渡ります。水はきれいです。
すぐのT字路を右折します。
左手、北側には広々とした畑が広がります。
平井小通りから右に入って5分ほど歩き、緑埜地区に入ると三叉路に出ます。
角には千部供養塔と記された石碑が建っています。説明板によると、天明3年(1783年)に起こった浅間山の大爆発の様子やその被害状況が刻まれた供養塔で、爆発の9年後の寛政4年(1792年)にこの地を治めていた代官が建てたものです。
三叉路を右へ進むと、先ほどの鮎川農村公園の対岸の場所に出ます。鎌倉街道は三叉路を左へ入っていきます。
緑埜の家並みを抜けると田んぼが広がり、
クランク状に曲がると、平井小学校の北側で県道173号に出ます。押しボタンの信号で県道を渡りそのまま先へ進みます。
家並みを抜けると正面に小山の森が見えてきます。
正面には大聖峯寺(だいしょうぶじ)があります。入口には迫力のある大ケヤキの木が立っています。樹齢は500年とのことです。
大聖峯寺の前から道なりに北へ進路を変えて進むと、上信越自動車道の下をくぐります。
上信越自動車道をくぐると、フェンス沿いには白い花をつけたコブシの木が並んでいます。
道が左へカーブするところに道祖伸や庚申塔が立っています。
やがて街道は国道254号に突き当たります。
国道左手のすぐのところで右折します。
道なりに進むと、
十字路に出ます。
十字路の手前角には、吉良上野介陣屋跡の井戸が残っています。説明板によると、この地には吉良家の陣屋があり、吉良上野介義央の産湯を汲んだ井戸とされています。当地では、忠臣蔵は禁物とされてきました。
十字路の右手には吉良氏陣屋跡の説明板が立っています。吉良家の本領は三河にありましたが、義央の祖父の代に、ここ白石村に740石の所領を拝領し、陣屋を置いていました。吉良家の統治は赤穂浪士討入りの翌年、元禄16年(1703年)まで続きました。
十字路を直進して、白石の町並みを抜けると、
十字路に出ます。ここを右折して白石稲荷山古墳に寄り道をします。
畑の中の一本道です。北海道的な大らかな雰囲気です。
右手前方に、白石稲荷山古墳が見えてきます。ゴルフの打ちっぱなしのネットと重なって見えますが。