今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(26)近鉄四日市~石薬師宿~庄野宿~井田川 その4

 

2024年4月12日

 

石薬師宿

 

 東海道国道1号から反れて、高台の石薬師宿に入ります。宿内の町並みを通ると、佐佐木信綱の生家が残っています。明治の歌人国学者でもある佐佐木信綱は明治5年(1772年)この地で生まれ、6歳まで過ごしました。その後、一家は松阪へ移り、信綱が11歳の時に東京へ移ります。建屋の中は見学できないようですが、主屋は国の登録有形文化財に指定されています。

 

 生家の隣には佐佐木信綱資料館も建っています。

 

 信綱の歌にちなんだ卯の花のつぼみがいっぱい付いています。「夏は来ぬ」はもう少しです。

 

 資料館の先で県道を横切ります。浄福寺の前に石薬師宿の大きな看板があります。

 

 県道を渡り、浄福寺の門前には、信綱の父弘綱の碑と孫の幸綱の歌碑があります。浄福寺は佐佐木家の菩提寺です。

 

 街道を進むと徳川家康思案橋の説明板があります。徳川家康の伊賀越えで三河へ逃れる際に、ここから東へ抜けるか、北上して四日市に出るか思案したと言われています。

 

 まだまだ石薬師宿の町並みは続きます。

 

 町並みを抜けると擬宝珠のある水色の橋を渡ります。瑠璃光橋と呼ばれています。

 

 東海道国道1号を跨いでいます。

 

 道は下っていきます。

 

 T字路の右手は石薬師寺で、石薬師寺の説明板が立っています。御本尊は弘法大師が一夜のうちに爪で彫ったと言われている薬師如来です。本堂は寛永6年(1629年)に神戸城主一柳監物直盛によって再建されました。

 石薬師寺は、広重の「東海道五十三次内 石薬師」にも描かれ、有名になりました。

 

 山門をくぐります。

 

 冠木門の向こうに本堂が見えます。脇に立つのはモミジの木ですね。

 

 T字路の角に立つ「蒲冠者範頼之社」の石碑に従って東海道から左折します。

 

 すぐの左手には、蒲冠者範頼之社(御曹司社)があります。蒲冠者源範頼を祀った神社です。

 

 蒲冠者範頼之社の鳥居の前で右折すると、すぐ先で大きな桜の木が花をつけています。寿永(1182~1184年)の頃、源範頼が平家追討のために石薬師寺に戦勝祈願した際、鞭に使っていた桜の枝を突き刺したものが大きく育ったという謂れが残っています。石薬師の蒲ザクラと呼ばれています。山桜の一種だそうです。

 

 再び東海道に戻り、先を進みます。蒲川橋に向けて右手の坂を上ります。

 

 蒲川橋を渡ります。

 

 蒲川の下流方面です。すぐのところを関西本線が走っています。

 

 橋を渡ると、東海道はその先で線路に遮られて消えてしまいます。このため、左折して線路の下をくぐります。

 

 角には石薬師宿の碑が立っています。傍らには信綱かるた道の説明板も立っています。この場所が石薬師宿の京側の入り口だったようです。

 

 石薬師宿の碑の向かい、川沿いには一里塚跡碑が立っています。石薬師の一里塚で、日本橋から数えて102里目の一里塚です。説明板には江戸時代の川柳で、

 くたびれたやつが見つける一里塚

が記されています。なるほど。

 

 少し先に歩いて、振り返ってみます。一里塚跡碑の傍らには大きなエノキの木が立っています。絵になりますね。

 

 関西本線の線路をくぐり、東海道の標識に沿って右折します。

 

 しばらく線路沿いを歩きます。

 

 その先、線路は国道1号の下をくぐりますが、今度は国道に沿ってしばらく歩き、国道の下をくぐります。

 

 国道の下をくぐってから川沿いを歩き、その先で小さな橋を渡ります。

 

 水を張った田んぼの中を道なりに進むと、

 

 その先で、国道1号に合流します。

 

 

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