今へ続く甲州街道を歩くと
甲州街道は五街道の中で最後に整備が完成しました。明和9年(1772年)とも言われています。よく、江戸から甲府までを甲州表街道、甲府から諏訪までを甲州裏街道と呼ぶことがあります。表と裏でその成り立ちは違っていたようです。
江戸から甲府までの街道は、当初、徳川将軍家の軍事道路とされていました。ひとたび戦乱が起きて江戸城が攻め入られ、お城を放棄せざるを得なくなった際に、将軍家が甲府城へ退却する計画があったと言われています。将軍家を守るため、現在の番町には旗本の大番組が、新宿の百人町には鉄砲隊が、八王子には郷士で組織された千人同心が配置され、甲州街道沿いの守りを固める体制が出来上がっていました。