今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

今へ続く甲州街道を歩くと

 

今へ続く甲州街道を歩くと

 

 甲州街道五街道の中で最後に整備が完成しました。明和9年(1772年)とも言われています。よく、江戸から甲府までを甲州表街道、甲府から諏訪までを甲州裏街道と呼ぶことがあります。表と裏でその成り立ちは違っていたようです。

 江戸から甲府までの街道は、当初、徳川将軍家の軍事道路とされていました。ひとたび戦乱が起きて江戸城が攻め入られ、お城を放棄せざるを得なくなった際に、将軍家が甲府城へ退却する計画があったと言われています。将軍家を守るため、現在の番町には旗本の大番組が、新宿の百人町には鉄砲隊が、八王子には郷士で組織された千人同心が配置され、甲州街道沿いの守りを固める体制が出来上がっていました。

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甲州街道(14)茅野から下諏訪 その2

 

2022年10月15日

 

四賀

 

 大門の追分から甲州街道は山の裾野にある高台の住宅地を通っています。追分から25分ほど歩くと、道の真ん中に秋葉山常夜燈が取り残されたように立っています。下の写真は下諏訪を背に見たものです。道標も兼ねています。江戸側から見ると左側の道(写真では右の道)は明らかに後から付けたように見えます。

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甲州街道(14)茅野から下諏訪 その1

 

2022年10月15日

 

茅野

 

 いつものようにあずさに乗って茅野駅に降り立ちました。天気は晴れ、気温は23℃くらいまで上がる予報ですが、すでにほどほど暑いです。いよいよ甲州街道歩きの最終日となりました。今日は友人のSさんと一緒に歩きます。10時ちょうどに歩き始めます。

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甲州街道(13)富士見から茅野 その5

 

2022年10月2日

 

茅野の一里塚

 

 新田中のバス停から路地を右に入ると、住宅地の中に一里塚跡があります。一里塚碑と説明板がひっそりと立っています。茅野の一里塚で、日本橋から数えて、ちょうど、50里目の一里塚です。

 茅野市のホームページでは、ここから先の旧道は中央本線の線路を越えるように示されていますが、現在はその道を辿ることができません。

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甲州街道(13)富士見から茅野 その4

 

2022年10月2日

 

大池の一里塚

 

 宮川の近くまで歩くと一里塚碑と説明板が立っています。説明板によると、甲州街道制定時には両塚がありましたが、明治に入り道路の改修や鉄道の敷設工事により取り去られてしまいました。さらに、この付近の耕地整備のために当初の位置から変わってしまったとのことです。大池(木舟とか金沢とも)の一里塚で、日本橋から数えて49里目の一里塚です。

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甲州街道(13)富士見から茅野 その3

 

2022年10月2日

 

金沢宿

 

 金沢宿に入って、金沢交差点を渡った左手には本陣跡があります。本陣の説明板と明治天皇金澤行在所址の碑が立っています。

 甲州街道が整備された頃、宿場はこの先の権現の森付近にあり、青柳宿と呼ばれていました。しかし、度重なる宮川の水害や大火のため、慶安4年(1651年)に現在の位置に移され金沢宿と名を改められました。

 本陣は、当初、小松家があたっていました。4代目三郎左衛門は隣の茅野村との山論で町民の先頭に立って働いていたところ、高島藩は三郎左衛門が伝馬業務を怠ったという理由で処刑してしまいました。それ以降は白川家が本陣問屋業務を引き継ぎました。

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