2013年4月14日
安中宿高札場
右手群馬銀行の脇には高札場跡の碑が立っています。
道は緩やかな上り坂になります。旧地名は谷津となっています。
坂の途中に蔵造りの商家があります。サカウエ薬局です。なまこ壁が目立ちます。
さらに坂を上ると左手には、便覧舎跡の碑が立っています。便覧舎は明治5年(1872年)に日本で初めて創設された私設の図書館です。
便覧舎跡碑の向かいには醤油醸造元の有田屋があります。蔵と煉瓦造りの入口がなかなか良いです。
便覧舎跡から5分ほど歩くと、上野尻郵便局の敷地の中に安中大木戸址の石碑が立っています。このあたりに京側の入口がありました。
その先、左手に新島襄旧宅への案内板が立っていたので、寄り道をします。
中山道を左に入って、次を右折、その先道なりに左折して先の十字路を右折すると旧宅入口に着きます。
渡米の経験もあり和洋折衷の造りになっています。
中山道に戻り、その先、安中総合学園高校交差点で国道18号を横断して右の道に入ります。
かつてはこのあたりに安中の杉並木がありました。しかし、今は全て伐採されて一本も残っていません。昭和8年(1933年)に安中とこの先の原市の杉並木が国の天然記念物に指定されましたが、安中の杉並木の方は指定から外れてしまったそうです。
やがて杉の若木がぽつぽつ見え始めます。右手の水道タンクには安政遠足(とうあし)のイラストが描かれています。
安政遠足は安中のお殿様が藩士の鍛錬のために、お城から碓氷峠の熊野権現までの7里を徒歩競争させたものです。それにちなんで、現在は毎年5月に碓氷峠までのマラソン大会が開催されています。
その先右手には原市の杉並木の説明板があります。
天保15年(1844年)には345本あった杉の木が、現在(平成25年)にはたったの14本になってしまいました。昭和以降に植樹されたものを合わせて54本の杉の木が景観を保っています。
その中、杉の大木が見られます。この木は残っている14本のうちの一本でしょうか。
しばらく車通りの多い原市地区をてくてく歩きます。
左手には明治天皇原市御小休止跡の碑が立っています。昭和13年(1938年)の説明板の復刻版?もあります。
この地には五十貝茶屋本陣があり高札場もありました。
ここ原市は間の宿でもありました。
原市郵便局の手前の十字路を左折して、旧碓氷社本社事務所まで寄り道をします。
国道18号を横断した先、スーパーの駐車場の脇に旧碓氷社本社事務所が残っています。
碓氷社は製糸業の組合で、この建屋は明治38年(1905年)に建てられたものです。和風建築ではありますが、窓にはフランス製の板ガラスが使われていたそうです。
中山道に戻りしばらく歩くと、左手には出梁造りのお宅があります。柱には八本木旧立場茶屋跡と記されています。
その先で郷原地区に入ります。道は徐々に高度を上げ、道の向こうには妙義山が見え隠れするようになります。
このあたりは風情のある町並みが続きます。
やがて国道18号と合流します。原市郵便局からかれこれ45分は歩きました。
国道を横断した反対側には郷原の妙義道常夜燈が立っています。妙義神社への道標となっています。
しばらく国道18号を歩きます。道路脇には「碓氷峠鉄道施設を世界遺産へ」という看板がありました。
絶景の写真スポットです。
碓氷川の流れが見事な段丘崖を作っています。
その先で国道18号から下るのが中山道でしたが、通り過ぎてしまい、さらにその先の松井田交差点を左に入りました。
松井田の町に入ります。正面には浅間山が見えてきました。だいぶ近づいたようです。もちろん左手には妙義山が見えます。
松井田宿
やがて下町交差点に着きます。このあたりに江戸側の入口がありました。
松井田も趣のある町並みが続きます。
下町交差点の先右手には徳右衛門脇本陣がありましたが、それを示すものはありません。
仲町交差点の手前にある群馬県信用組合あたりに金井本陣がありましたが、ここもそれを示すものがありません。
仲町交差点を通過します。
この先にも、本陣1軒、脇本陣1軒があったようですが、よく分かりませんでした。
仲町交差点から10分ほど歩くと、左手には松井田商工会の建物が建っています。旧松井田警察署として昭和14年(1939年)に建てられました。
趣のある町並みはまだまだ続きます。
道は相変わらず真っ直ぐです。
仲町交差点から20分、西松井田駅前交差点に到着します。本日の街道歩きはここで終了です。左折して駅へ向かいます。
街路樹には今日の温かさで咲いたのでしょう。ハナミズキの花が咲き始めていました。
西松井田駅に到着です。時刻は13:10。4時間50分の行程でした。