今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(8)群馬八幡から西松井田 その1

 

2013年4月14日

 

群馬八幡

 

 8:10に群馬八幡駅に到着しました。花粉の飛散が収まるのを待って1か月半ぶりにこの地に立ちました。前回は冬晴れの寒さの中を歩きましたが、今回は桜も終わり、新緑の季節に変わっています。前回のように抜けるような青空ではなく、多少靄がかかっていますが気持ちの良い朝です。

 8:20に本日のスタート地点である少林山入口交差点に向けて歩き始めます。

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 国道18号の少林山入口交差点を右折して中山道に入ります。

 少林山達磨寺へ向かう歩道橋は変わった形をしています。

 達磨寺は高崎だるまゆかりの寺ですが、碓氷川対岸の山の中腹にあるので寄ることはしませんでした。

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 八幡大門交差点の先から安中市に入ります。

 土手には菜の花が咲き始めています。初夏ですね。 

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 国道18号を歩き始めて20分、板鼻下町交差点に着きます。中山道は右の道に入ります。 

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 さらにすぐのところを左へ入ります。 

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 しばらく歩いて橋を渡った右手に双体道祖神が立っています。仲良く酒を酌み交わしているのでしようか。寛政年間のものだそうです。

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板鼻宿

 

 信越線の踏切を越えます。

 その先のブロック塀の裏側にはるな道道標があります。

 このあたりに板鼻宿の入口がありました。板鼻宿の町並みは宿場町の面影を残しています。 

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 その名も「板鼻宿交差点」の先の右手には本陣跡があります。和宮が宿泊した書院が資料館として残されています。残念ながら、道の左側を歩いていてうっかり通り過ぎてしまいました。

 その先には、蔵造りの商家、旧てうちん屋があります。幕末の造りだそうです。

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 町の中央を板鼻堰用水路と呼ばれる川が流れています。水量は豊富できれいな水が流れています。 

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 町中を抜けると鷹之巣橋東交差点に出ます。左折して、碓氷川を渡ります。

 往時はこの少し先の上流に渡し場があり、徒歩で渡っていたそうです。

 このあたり、「パーン、パーン」と、うるさい音がします。橋を渡らず先に進むとクレー射撃場があるようです。 

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 川の遥か彼方に妙義山が見えてきました。赤城山榛名山に続き妙義山を目指すことになります。 

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 碓氷川を渡ると中宿地区に入ります。次の中宿交差点を右折します。 

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 その先でT字路に突き当たります。突き当りの左右方向が中山道です。 

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 右に曲がって碓氷川の渡し場あたりへ行ってみます。

 適度な日差しと心地よい風が吹いていて、広々した河原はとてものどかな感じなのですが、相変わらずクレー射撃の音は大きく響きます。

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 渡し場跡から引き返して中山道を進みます。先ほどのT字路を過ぎた先に、比較的大きな道標が立っています。富岡へ抜ける分岐点のようです。

 また、この近辺に中宿の一里塚がありました。日本橋から数えて29里目の一里塚です。 

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 その先で道は二手に分かれます。右の道が中山道です。

 左の道は安中駅に通じています。 

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 やがて、碓氷川の土手に突き当たります。かつてはこの場所から再び碓氷川を越えていました。 

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 現代の旅人は土手の上を歩いて、上流の久芳橋を渡ります。国道18号の通る橋です。

 土手から眺めると、渡し場の対岸の河川敷は野球場になっていて、みなさん野球を楽しんでいます。 

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 久芳橋の親柱には安中の杉並木が描かれています。

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 久芳橋を渡ると下野尻交差点に着きます。中山道はここを左へ入ります。

 歩道橋で国道18号を渡ると、渡しのあった野球場方面から中山道が国道を横切っているのがよく分かります。 

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安中宿

 

 下野尻交差点から10分ほど歩くと、交差点右手にある理髪店の駐車場に下ノ木戸跡の碑が立っています。質素な碑です。

 安中宿の江戸側の入口です。 

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 安中宿の町並みが始まります。 

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 安中郵便局の駐車場の脇に安中宿本陣跡碑が立っています。残念ながら文字が少しかすれています。 

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 その先の伝馬町交差点を右折して寄り道をします。

 旧町名を表示しているのでしょうか、街灯の下に「伝馬町」と表記されています。 

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 坂道を上ると正面に旧碓氷郡役所があります。

 郡役所は明治11年1878年)に開庁しましたが、一度火災で建物が焼失して、現在の建物は明治44年(1911年)に建てられたものです。

 ちょうどNHK大河ドラマにちなんで、新島襄・八重展が開催されていました。 

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 郡役所の前を左折して、中山道と並行して走る道を歩きます。大名小路と呼ばれています。
郡役所の隣には、大名小路を挟んで両側に安中教会があります。右側の大谷石造りの洋風建築物は安中教会礼拝堂(新島襄記念会堂)で、大正8年(1919年)に造られたものです。大谷石のせいでしょうか、重厚な姿です。 

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 その先の右手奥には安中小学校の校門があります。その前に安中城址の石碑が立っています。

 安中城は戦国時代に造られましたが、徳川家康が関東入封の後、慶長19年(1614年)に井伊直政の長男、直勝によって再建されました。 

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 さらに、左手には旧安中藩郡奉行役宅が残っています。 

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 交差点を隔てた先には、旧安中藩武家長屋があります。三軒長屋として現存していたものを、元の4軒長屋に復元されました。 

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 再び郡役所まで引き返し、坂道を下り伝馬町交差点を右折して中山道に戻ります。

 このあたりは碓氷川と九十九川に挟まれた段丘にあり、安中城や群奉行役宅などは中山道より一段高い場所にあります。 

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中山道(8)群馬八幡から西松井田 その2へ続きます。

 

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