2014年5月24日
塩尻峠
右手を上がったところに明治天皇御野立所の石碑が立っています。この辺り一帯は明治天皇の御巡幸に因んで塩嶺御野立公園と呼ばれています。
その先の展望台に上ると諏訪湖が一望できます。素晴らしい眺めです。関東富士見百景の一つです。若干霞んでいますが、右手の山の斜面に少しだけ頭を出した富士山が見えます。展望台には新たに「祝 富士山 世界遺産登録」と記されたプレートが取り付けられていました。
振り返ると雪を頂いた穂高の山々が見えます。
この展望台からは、標高が日本1位の富士山、2位の北岳、3位の奥穂高が見えるそうです。最近の計測で、第3位は同順で南アルプスの間ノ岳(3190m)も加わりました。間ノ岳は北岳の南にありますが、ここからは見えないのでしょうね。
十字路に戻って反対側から下ります。
峠から5分で左手には上条家茶屋本陣跡があります。街道に面したお宅の屋根には「雀おどり」の棟飾りが見られます。
道の反対側には「明治天皇塩尻嶺御前水碑」が立っていて、その裏手には井戸があります。
民家の点在する山里をさらに下っていきます。
その先には東山の一里塚があります。南塚が現存しています。日本橋から数えて57里目の一里塚です。
ここからはなぜか中山道の標識が見当たらなかったので、地図を見ながら進みました。
最初の十字路は直進して、数分先のY字路は左へ入ります。
Y字路から下って3分、再びY字路に出るので、今度は民家の見える右側に入ります。
やがてT字路に突き当たります。その手前には雀おどりを飾っている民家があります。
突き当りを左折するとすぐに国道20号に出るので右折して国道沿いを歩きます。
ツツジがきれいです。
国道20号の歩道を少しだけ歩き、国道が大きく左へカーブする手前で、中山道は右の坂を上がります。
一時、山の中に入りますが、しばらく歩くと再び民家が見えてきます。
その先で、国道20号を横断します。横断には地下道を使います。
道は真っ直ぐ下っていきます。広々とした田園風景を望める場所でとても気持ちがよいところです。右手には穂高の山々を見ることができます。
やがて長野道の上を越えます。ちょうどみどり湖PAがあるところです。
さらに下っていきます。
やがて柿沢地区に入ります。この辺りも生垣を美しく保っています。
田植えの終わった田んぼに菖蒲の花と雪山。初夏の風景ですね。
下柿沢交差点の角にはひっそりと道祖神が立っています。
下柿沢交差点の先の火の見櫓がある所で中山道は左に入ります。
その先、のどかな住宅地を歩くとすぐに、国道153号に出ます。右折して国道を歩きます。脇の川は四沢川と言い緑並橋で渡ります。
国道に入ってすぐの右手にはユニークな双体道祖神があります。お女郎道祖神と呼ばれています。
塩尻宿
国道と合流してこの仲町交差点までの間に柿沢の一里塚あったようですが、その場所を示すものは見当たりません。日本橋から数えて58里目の一里塚です。
仲町交差点の角には「是より西 中山道 塩尻宿」の碑が立っています。この辺りに江戸側の入口がありました。
仲町交差点のすぐ先、左からのT字路があります。角には三州街道と記された碑が立っています。伊那谷を通って三河へ通じる街道であったのでそのように呼ばれていました。三州街道は伊那街道とも呼ばれ、太平洋岸から塩が運ばれていた「塩の道」でもあります。「塩尻」という言葉は塩の道の終点という意味のようです。
仲町交差点から歩いて7分、右手に小野家住宅が建っています。幕末の嘉永年代(1848~1854年)に建築された旅籠で、銀杏屋(いてうや)という屋号でした。国の重要文化財に指定されています。
小野家住宅の道を隔てた向かいには上問屋跡の石碑が立っています。その隣の消防団の向かいには下の問屋跡の碑と高札場が再現されています。
消防団のさらに隣には本陣跡の碑があります。
この辺りは石碑のみで遺構は残っていません。明治15年(1882年)の大火で焼失してしまったそうです。
様々なところで塩尻4宿400年の説明書きが貼られています。慶長19年(1614年)に初期の中山道から塩尻宿を通る現在の道筋に変更されて今年で400年なります。
本陣跡の隣には脇本陣跡の碑が立っています。
その先には造り酒屋の笑亀酒造があります。明治16年(1983年)に塩尻陣屋跡で酒造りを始めました。主屋やなまこ壁の蔵などが国の有形文化財に登録されています。