2013年4月29日
西松井田
今日は車で移動しました。西松井田駅前の駐車場に到着したのが7:20くらいです。天気は晴、少し風はありますが気持ちの良い朝です。
7:30から本日のスタート地点である西松井田駅前交差点に向けて歩き始めます。
西松井田駅前交差点の角には補陀寺があります。
生垣と石垣の先に山門があります。生垣には松井田城址の説明板も立っています。松井田城があるのは後方の山のようです。
松井田城は安中氏の居城でしたが、その後、武田方、織田方の居城となりました。本能寺の変の後、北条氏の家臣大道寺政繋が城代として入りました。
天正17年(1589年)、豊臣秀吉の小田原城攻めに際し、前田利家らの北陸軍が松井田城攻めを行い、政繋は籠城策を取りましたが、最後には開城して松井田城は廃城となりました。当時の遺構は残されているようです。
中山道を横川へ向かって歩きます。
中山道は松井田警察署の手前で左に入ります。
静かな道になります。正面には妙義山が間近に見えます。
しばらく歩いた左手の竹藪の前に一里塚の説明板が立っています。新堀の一里塚です。説明板によると10m南に南塚があると記されていますが、民家の敷地の中なのでよく分かりません。日本橋から数えて33里目の一里塚です。
その先で信越本線の踏切に出ますが、そこからは道が途切れているため、踏切の手前を右折して線路沿いの道を歩きます。
ここからも妙義山が良く見えます。
第十中仙道踏切を渡り、今度は線路の南側を歩きます。
ウグイスの声も聞こえるのどかな道です。
やがて国道18号に合流します。旧中山道の標識に沿って国道を横断します。
国道を渡ってすぐのところを右に入ると中山道になります。
上信越道の下をくぐり5分ほど歩いた十字路の右角に高札場の説明板が立っています。
ここを右に入って五料の茶屋本陣に寄り道をします。
細い道を進み信越本線の踏切を渡ると五料の茶屋本陣があります。
正面はお東の門となります。
見学は西へ少し歩いたお西から入ることになります。
茶屋本陣は両家とも名主の中島家が務め、1年ごとに交代していました。
残念ながら開門まで1時間もあったので、そのまま引き返しました。
高札場跡まで歩き、右折して中山道に戻ります。
その先、家並みが途切れて国道18号との合流点が見える手前、右手の信越本線の踏切を渡ります。
そこからはちょっとだけきつい上り坂になります。息が切れます。
夜泣き地蔵や茶釜石を過ぎると間もなく下り坂になります。
山々が間近に見えて、のどかな山里の風景が広がります。中山道をここまで歩いて来て、初めて見る景色ではないでしょうか。
ウグイスの声が聞こえ、道端の梅の木には小さな実が付いています。とても気持ちの良い道です。しかしながら、近くを高速道路が走っているので、車の音が少し気になります。
しばらく下っていくと、中山道は信越本線の線路に遮られてしまいます。
このまま線路を横断できないので道なりに線路沿いを歩き、高墓踏切を渡り、並行している国道18号を横断して直進します。
その正面、臼井小学校の前でT字路に突き当たります。この道の左右方向が中山道です。右折して中山道に戻ります。旧道らしい道を少しだけ歩きます。
すぐに国道18号と合流しますが、橋を渡った先で再び左の旧道に入ります。
そして、再度国道18号に合流します。
安政遠足マラソンの案内板が立っています。今年は5月12日(日)の開催です。
その先はしばらく国道を歩きます。
ここも絶景ポイントです。
下横川の交差点で国道を横断して、中仙道第十五踏切で信越本線を横断します。
今日はここまで、何回、信越本線や国道を横断したのでしょうか。中山道は信越本線や国道に何度も分断されてしまっています。ちなみに、五料の茶屋本陣の往復を除くと、4回信越本線の踏切を越えました。
ここからは横川まで一本道です。
しばらくして横川の町に入ります。このあたりは比較的新しい町並みです。
信越本線の踏切を渡ってから15分で横川駅入口に到着します。西松井田駅から1時間15分歩きました。
角には峠の釜めしで有名な荻野屋本店があります。