今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(28)関ケ原から鳥居本 その5

 

2018年11月11日

 

小摺針峠

 

 坂を上っていくと、道は高速道路のトンネルの上を通るようになり、峠に差し掛かります。あまり高低差を感じられないのですが、小摺針峠と呼ばれています。まだ、14時半くらいなのに、秋の陽は傾き始めています。

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 峠を越えて下り坂になると、再び名神高速道路が現れます。

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 右にカーブしたその先で道は二股に分かれるので右へ進みます。分岐左手には中山道の道標が2本立っています。

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 再び、緩やかな上り坂になり、旧摺針村の町並みが見えてきます。

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 大きく左へカーブしたカーブミラーの先に摺針の一里塚碑が立っています。日本橋から数えて118里目の一里塚です。

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 その先、小高いところにある神明宮辺りが摺針峠となります。

 諸国を修行していた若き弘法大師が、挫折しそうになってこの峠を通りました。その時、一人の老婆が大切にしていた針を折ってしまい、斧を磨いて針にしている姿を見て、自分の修行の甘さを悔い、さらに修行に励んだという謂れがあります。このことからこの地を摺針峠と呼ぶようになりました。

 峠は寄らずショートカットして車道を歩きます。

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 後は琵琶湖に向けての下り坂となります。しかし、このあたりからは琵琶湖は見えません。

 下り坂の途中で、左の旧道に入ります。

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 小さな柵が設けられている草道を下ります。麓まで一気に下るようです。

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 すぐに、先ほど分かれた舗装道路に出ます。

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 舗装道路を横断した先には、中山道の標識が立っていて、再び、草道に入ります。

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 鬱蒼とした木々の間や、竹林の中を下っていきます。

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 やがて、工場の脇で草道が終わり、再び、先ほどの舗装道路に出ます。ここは横断してその先の道へ進みます。この道は下矢倉道と呼ばれています。

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 すぐに矢倉川に突き当たります。右角には「右中山道 左北国道」と刻まれた道標があります。ここが、中山道と北国街道との追分だったのでしょうか。

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 道標に沿って右折するとすぐに国道8号に出るので、左折して矢倉橋を渡ります。

 国道8号の右手方向は旧北国街道となります。北国街道は琵琶湖東岸を北上し、福井の今庄宿で北陸道となり俱利伽羅峠を経て上越高田宿から再び信濃側の北国街道(善光寺から善光寺街道)となり、以前通過した中山道追分宿の分去れまで通じています。

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 すぐのところで左へ入ります。分岐の左手には中山道の道標が立っています。

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 さらに左手には、「おいでやす彦根市へ」と記され、中山道を行く旅人でしょうか、3人の像が乗ったモニュメントが立っています。地図上で彦根市へ入ったのは小摺針峠あたりです。

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 町の中に入り、鳥居本宿ももうすぐです。

 陽も傾きかけて、ススキの穂が光っています。

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鳥居本宿

 

 さらに歩くと、旧家が見られるようになります。鳥居本宿の説明板が街道脇に立っています。

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 いくつかの旧家を見ながら桝形を通ります。

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 桝形の角には、健胃薬 赤玉神教丸の製造販売を行っている有川家の大きな店舗が建っています。

 創業は元治元年(1658年)と言われ、350年の歴史があります。赤玉神教丸は多賀神社の神教によって調整したのが始まりだそうです。この建屋は宝暦年間(1751~64年)に建てられ、明治天皇も休憩されました。国の重要文化財に指定されています。

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 その先、右手には、合羽の製造を営んでいた合羽所木綿屋跡があります。合羽はここ鳥居本宿の特産品でした。

 享保5年(1720年)馬場弥五郎が創業した鳥居本雨合羽は、雨の多い木曽路へ向かう旅人が雨具として買い求め、文化文政年間(1804~30年)には15軒の合羽所がありました。木綿屋の創業は天保3年(1832年)で、江戸から伊勢方面に販路を持ち、大八車に被せるシートを主に製造していました。

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 そのはす向かいには本陣跡の説明板が立っています。しかし、その文字は飛んでしまって読み辛くなっています。鳥居本宿の本陣は寺村家が務めていました。

 すぐの左手には鳥居本宿碑が立っています。

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 中山道碑の前のT字路で本日の街道歩きを終わりにし、右折して鳥居本駅へ向かいます。

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 右折するとすぐの国道の反対側に鳥居本駅があります。無人駅ですが、瀟洒な建物です。

 説明板には、明治29年(1896年)、彦根ー貴生川間で開業した近江鉄道は、昭和6年(1931年)に彦根-米原間が延伸され、その時に鳥居本駅も建設されました。当時のままの建物ではないようですが、建設当時の様式を受け継いでいます。

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 時刻は15:05。6時間5分の行程でした。15:26の電車に乗り、一つ隣の彦根駅へ向かいます。宿泊は東横イン彦根駅東口店を予約していて、ここで2泊します。

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